人生を変えた路上劇
やがて演劇集団『変身』に身を置きながら、加わった劇団『赤い花』で外波山は“時の人”となる。
1971年、『赤い花』のメンバーとなった外波山は、幌付きの2トントラックに乗り込んで東北一円を巡る旅巡業に出た。
「ところが岩手の大船渡で一軒家を借りて芝居しているうちに演出家と大ゲンカになってね。『赤い花』はあっけなく解散。残ったメンバーで『はみだし劇場』を立ち上げ、街頭で芝居を打ちながら旅を続けていたら、これが話題になってね。後に世界的な演出家になるNHKのディレクター佐々木昭一郎さんが噂を聞きつけて追いかけてきたんだよ」
『混乱出血鬼』(内田栄一・作)と題したその芝居は、外波山が「お控えなすって」と仁義を切り、店に殴り込みをかける場面から始まる。止めに入った劇団員と番傘でチャンバラとなり、最後に外波山が斬られ、鮮血がドバッと流れるシュールな劇。しかも、これを路上でやったのだ。
それをいたく気に入った佐々木氏は、ドラマ『さすらい』の中で外波山たちの大立ち回りを撮影。さらに3日間かけて、主人公の少年とトラックで寝泊まりしながら旅をする名場面を作り上げた。
するとこの作品が、文化庁芸術祭テレビドラマ部門で大賞を獲得。一大センセーションを巻き起こす。
これをきっかけに、当時、気鋭の若手監督が映画を手がけて注目されていた「ATG(日本アートシアターギルドという映画会社)」の製作映画『竜馬暗殺』(黒木和雄監督)に出演依頼が来る。
「坂本竜馬役を原田芳雄、中岡慎太郎役を石橋蓮司、ほかにも松田優作、桃井かおり、中川梨絵など錚々たる役者がそろったこの映画に僕は“人斬り半次郎”役で出演。実はこの作品、ゴールデン街で生まれた企画でね。
京都のお寺に泊まり込んで撮影したんだけど、台本の変更は常でいつもディスカッション。その場で演出して撮影するような感じだったから、途中で製作費が足りなくなってね。ゴールデン街の老舗『まえだ』のママたちがポンと200万円出してくれたから完成したけど、もし、そのお金がなかったらどうなっていたか……。今では考えられないな」
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後に外波山自身も店を持つことになるゴールデン街。起源は終戦後の混乱期にできた闇市がルーツ。店内はいずれも3坪から4・5坪と狭く、カウンターに数人並ぶだけで満席となるこの空間に当時、大島渚や若松孝二といった映画関係者や、野坂昭如、北方謙三、大沢在昌といった人気作家や文化人が夜な夜な集い、明け方まで熱い議論を闘わせ、まるで梁山泊の様相を呈していた。
「当時歩いて帰れる百人町に住んでいたものだから、僕の家は溜まり場。まだ助監督だった高橋伴明や井筒和幸、漫画家の滝田ゆう、たこ八郎といった面々がよく泊まりに来て、朝まで飲み明かしたものだよ」