お笑い界のスター・志村けんさんが3月29日の午後11時過ぎ、新型コロナウイルスによる肺炎のため、他界した。お茶の間に活気を与え続けた志村さんの訃報を受け、日本全国からはもちろん、世界じゅうから悼む声が届いている。
志村けんさんといえば、『8時だョ! 全員集合』や『ドリフ大爆笑』、『志村けんのバカ殿様』『天才! 志村どうぶつ園』など代表作となるテレビ番組がいくつもあるが、舞台活動も精力的に行っていた。特に、2006年から'19年まで毎年、主催及び主演を務めた舞台『志村魂』では、おなじみ“バカ殿コント”から津軽三味線の演奏、芝居『先ず健康』など、盛りだくさんの内容で会場を沸き立たせた。
志村さんと師弟関係にあり、『志村魂』の中心メンバーとして15年以上、ともに作品づくりをしてきたのが、お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵、肥後克広、寺門ジモンの3人だ。週刊女性では、第8回公演が行われた'13年、すでに確固たる信頼関係を築きあげていた4人を迎えての座談会を決行。気の置けない仲だからこその“ぶっちゃけトーク”がいくつも飛び出した。お笑い、そして仲間への愛あふれる言動の数々を、志村さんを偲ぶ気持ちとともに今こそ、振り返りたい。
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※以下の内容は'13年6月に発行された『週刊女性』の記事を再編集したものです。
バカ殿の白塗り姿でダチョウ倶楽部を“ガン見”
──ダチョウ倶楽部さんが『志村 けんのバカ殿様』のレギュラー出演になって12年目になりますが、 もともとのきっかけは?
上島 僕が師匠(志村)の財布に目をつけはじめてからそんなになりますか(笑)! きっかけは、 師匠と一緒に酒を飲んでるときに 「おまえら最近コントやってないだろ? 『バカ殿』に呼んでやるよ」って声をかけてくださったこと。でも、酒の席だから社交辞令だと思ったんですよ。そしたら1 週間くらいたってマネジャーが 「『バカ殿』決まりました!」って。 まるで自分の手柄みたいに持って きたのを覚えてますよ(笑い)。
志村 3人がコントをやってるのをあまり見ないなぁと思って、声かけたんだよ。
上島 でも初めて会ったときに言われたもんだから! 冗談だと思ってたんです!
──前から注目されていたんですか?
志村 いや、注目はしてなかったけどね(笑)。
寺門 ちょっと師匠(笑)! 初めて出させていただいたときはすごい緊張しましたね〜。師匠が、 自分が出てないシーンでもカメラ位置で見てたりして。
上島 普通の格好ならいいけど、 バカ殿の白塗り姿で!
志村 スタッフばっかりだったから、和ませるつもりだったんだけどな(笑)。緊張してるのは伝わってたよ。でも、スタッフが音出しのタイミング間違えたりしてな。
肥後 あ~、そうだそうだ。僕らより師匠のほうが覚えてる。
上島 収録が終わったあと、師匠がスタッフの方たちを怒ってくれましたよね。「やるやつの気持ちも考えろ!」って。自分たちが怒られるのもつらいけど、自分たちのせいで人が怒られてるのもつらかったなぁ......(笑)。