浮名を流した芸能人

原田 僕もジャングルの奥地や未開の山岳民族とか世界の危険地帯に行くのが好きなんです。同じ“過酷”でも、麻紀さんと僕はまったく違う世界の歩き方ですね。

麻紀 ホンネでは戸籍の性別なんてどうでもいいんだけど、海外に行くことを考えると女のほうが断然ラクね。

原田 麻紀さんといえば、芸能界でもさまざまなビッグネームと浮名を流していた印象があります。

麻紀 そうねえ。本当にいろんな男と遊びましたよ。最近お亡くなりになったお辰(梅宮辰夫さん)と文ちゃん(菅原文太さん)は、私を取り合ってたもの。札幌の仕事で全員がかち合ったことがあって、修羅場だったわ

原田 それはすごい構図ですね……!

麻紀 力が強かったお辰が私を勝ち取ったの。でも、文ちゃんもいい男だったわ。

原田 きっと天国でも「麻紀はいい女だったな」なんて、梅宮さんと菅原さんが思い出話をしてると思いますよ!

麻紀 そうだといいけどね(笑)。阪神の野球選手の間で、私がアゲマンだという噂が広まったときも大変だった。「明日は天王山だから男にしてくれ」とか、ヤクザは「博打で勝ちたいから麻紀さんの下の毛が欲しい」とか、連日、大盛況!

原田 まるで御神木ですね! すごいご利益だ……。お話を聞けば聞くほど、麻紀さんはオンリーワンですね。男、女、カルーセル麻紀、みたいに新しい性別を確立してると思います!

麻紀 アハハ! そうかもしれないわね。原田さんとはすごくしゃべりやすくて、他人の気がしない。ステキな時間をどうもありがとう。

原田 僕も麻紀さんとお話しして“他人と違う道を歩きたい”と、より強く思いました。ありがとうございました!

本日の、反省

 本当に濃厚なお話ばかりでした。きっと麻紀さんは、いろいろな悔しい思いもつらい経験もしてきているはずなのに、それでも「また自分に生まれたい」とおっしゃっていたのがすごく印象的でしたね。麻紀さんのお言葉を聞いて、自分はどうだろうと考えたとき「俺も俺に生まれたいな」と思いました。これまでの失敗も反省も全部ひっくるめて、また俺に生まれたい。新しい自分の一面を知るきっかけになりました。

PROFILE
●かるーせる・まき●1942年、北海道生まれ。15歳で札幌の「クラブ・ベラミ」で働きはじめ、その後、大阪「カルーゼル」など、全国の有名クラブを席巻する。以降、舞台や映画、ラジオやテレビで幅広く活躍し、1972年にモロッコで性転換手術を受けて話題に。2004年には戸籍上も女性となった。業界のパイオニアのひとりであり、生ける伝説。

■取材・文/大貫未来(清談社)■