8年ものフリーター生活
1955年、群馬県前橋市生まれ。農業を営む両親のもと、兄と妹、3人きょうだいの次男坊として育った。
「農業だけじゃ、食べていけなかったので、父は板金工をやって、母は給食センターに働きに出ていました。そういう両親の姿を見て育ったから、働くのはちっとも苦にならなかった」
高校は地元屈指の進学校、県立前橋高校に入学。卒業後は、自由闊達(かったつ)な校風の和光大学人文学部に進んだ。
「高校時代はあんまり勉強しなかったなあ。親は地元の銀行員や教師になれってすすめたけど、将来の仕事も定まらなくてね。東京の大学に行くかって、上京したんです」
ところが、大学生になった臼井さんが没頭したのはアルバイト。ほとんど休みなしで、朝から晩まで打ち込んだ。
「ガードマン、バーテン、ワゴンでTシャツを売る露天商、音楽コンサートのビラ配り、トラックの運転手もずいぶん長くやったなあ」
アルバイト漬けで本業がおろそかになり、大学は3年生で中退。今でいう、フリーターになってしまった。
「親は心配だったんでしょうね。とにかく顔を見せろとせっつかれ、しぶしぶ実家に戻ったら、おふくろが俺の長袖シャツをさっとめくるわけ。東京で薬物に手を染めてるんじゃないかって、注射痕がないか確認したんです(笑)。当時は髪も長くて、ヒッピーみたいだったからなあ」
ちゃんと就職して、親を安心させたい。そう思うものの、アルバイト生活からは、なかなか抜け出せなかった。
「正社員にならないか?」、熱心な仕事ぶりが評価され、アルバイト先の上司から、誘われたことも1度や2度ではなかった。それでも、決してうなずかなかった。
「自分で言うのもなんだけど、まじめで一途な性格なので、正社員になったら、生涯その道一本にのめり込むとわかっていたんです。だから、一生を賭けたい仕事を見つけるまでは、中途半端に就職したくなかった」
フリーター生活は8年にも及んだ。ようやくピリオドが打たれたのは、28歳のとき。
真剣に結婚を考えたからだ。
「それが、うちの母ちゃん(笑)。2つ年下で、喫茶店で働いてたんで、よく仕事の帰り、顔を見に寄ってね。3年付き合って、結婚を考え始めたとき、彼女のおやじさんから言われたの。結婚するなら定職に就けって。もっともだよね」
これが弾みとなり、臼井さんは本気で職探しを始めた。