政治家になるためにどのようなことを努力してきたのですか?
選挙で当選しないと議員にはなれませんよね。自分の名前を投票用紙に書いてもらう努力、名前を知ってもらう努力を一生懸命しましたね。名前を知ってもらうっていうのは大変なことなんですよ。
当時、全国で最年少の29歳で初めて選挙に出て、田中角栄さんから「とにかく“お願いします”と歩きなさい」と教わって毎日、集会や集まりでお話ししたり、できたら一緒にお酒を飲んで仲よくなって、ということをやっていました。
最初の選挙のときは5万6千人しか私の名前を書いた人はいなかった。2回目は8万2千人が書いてくれた。3回目になったら13万7千人の人が書いてくれた。どうやって自分のことを知ってもらうか一生懸命、努力しました。国民の方が「あの人は国民のことを考えてくれている」「あの人の言うことなら信じてみようかな」と思ってもらえるような説得力のある行動をしないといけないですからね。
コロナで外出が自粛されているときに何をしたらいいですか?
本をたくさん読んでほしいです。ふだん触れないようなものに触れること。クラシック音楽を聴くとか植物を育てるとか手紙を書いてみるとか。
16世紀にペストという感染症で世界の人口が半分になるということがありました。そのころ多くの文学が生まれたんです。なぜならば家にいなければいけなくて考える時間がたくさんあったからです。
休み中の今も、このときにしかできないことをたくさんやってほしいと思います。
石破さんは小学生のときにどんな夢を持っていましたか?
学校の先生か電車の運転士さんになりたかったですね。そのころ学校の先生を主人公にした漫画があってね、学校の先生って面白そうだなと思っていました。母親も国語の先生でしたし、上に姉が2人いますが、どちらも英語と歴史の教師をしていました。政治家になりたいとは思わなかったですね(笑)。
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インタビューを終えた2人に感想を聞くと、
「石破さんが“自分で面白いなぁと思ったことは触れてみて実感してみること”“今の日本人は都会に集中して田舎に住みたがらない”という言葉が印象に残っています。
石破さんは、ひとつの質問に対してたくさんの答えを話せるところがすごいなぁ、と思いました」(紗里衣ちゃん)
「学校も塾も休みになってうれしい部分も正直ありました。でも、休みの今だからこそやるべきことをやろうと思いました。
この休みの間の意識ひとつで、将来が変わるような気がします。石破さんとお話しできて、そう思いました。
勉強して戦争のない未来をつくりたいと強く思いました」(一翔くん)
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子どもたちがお休みなのは学校だけではない。大手学習塾やスポーツクラブなども軒並み閉鎖。学校も習い事にも行けない子どもたちは公園に行けば“不謹慎”などと言われる状況が続いている。
この状態がいつまで続くかわからず閉塞感も高まっているが、石破議員の言うように“芸術が生まれるチャンス”ととらえれば、また違った過ごし方ができるのかもしれない。
【PROFILE】
一翔くん(14) ◎神奈川県。新中学3年生 。『貧困』をテーマに横浜市スピーチコンテストに出場
紗里衣ちゃん(11) ◎千葉県。新小学6年生。某進学塾にて中学受験に励む日々