毎日新聞が4月21日、以下のような検証記事を出した。
安倍晋三首相が17日の記者会見で、“布マスク全戸配布”(通称:アベノマスク)への批判の声に関して朝日新聞記者から質問を受けた際に「御社も2枚3300円で販売していた」などと言及した、朝日新聞社の通販マスク(通称:アサヒノマスク)について、
「朝日新聞社が通販サイトで販売したマスクは、繊維のまちとして知られる大阪府泉大津市の地元繊維メーカーが手作りした製品で、高性能の立体構造マスクだった。ぼったくりではなかった」とする内容だ。
しかし、ちょっと待ってほしい。最初に安倍首相の記者会見での発言を無批判に伝え、むしろ面白おかしく報じたのは、毎日新聞ではないか。そこについては“スルー”なのか。自社記事の第一報を検証もせず、こうした続報をしれっと出すことには、強い違和感と不信感を覚える。
17日の会見でもっとも疑問を感じたのは、首相が朝日新聞記者からの質問をはぐらかした対応そのものと、それをそのまま批判することなく報じ、しかも(首相が朝日新聞に対して)「反撃」「皮肉った」といった表現で煽(あお)って伝えた毎日新聞の内容だった。だから私は先日《“アベノマスク”で“アサヒノマスク”に反撃、安倍首相の「はぐらかし」こそ問題》という記事を執筆した。
第一報における問題意識のなさ
毎日新聞の第一報は、まず見出しで《「布マスク批判」を指摘の朝日記者に首相が反撃、「御社も3300円で販売」》と記し、本文では《(朝日新聞の記者から)指摘された際、(中略)“反撃”する一幕があった》《「御社のネットでも布マスクを3300円で販売しておられたと承知している。つまり、そのような需要も十分にある中で2枚の配布をさせていただいた」と皮肉った》と書いた。
朝日新聞社の通販マスクの実態を検証することもなく、ましてや、安倍首相が記者の質問から論点をずらした点を追及することもない。首相の“朝日批判”をそのまま垂れ流しただけでなく、朝日新聞を揶揄(やゆ)するかのような記事に仕立てたのが、毎日新聞の第一報だった。
この記事を担当した毎日新聞記者の問題意識のなさには正直、驚き呆れた。いったい、どこを向いて記者の仕事をしているのだろう、と愕然とした。
繰り返して指摘するが、17日の記者会見における安倍首相の発言は、記者から問われた内容をはぐらかすものだった。毎日新聞記者は、安倍首相の受け答えに疑問を感じなかったのか。なぜ、そこを問題視せず、無批判な記事に仕立て上げたのか。これまでも国会質疑や記者会見で、安倍首相が繰り返してきた手法ではないか。これについて厳しく取り上げていくことこそ、記者の職責ではなかろうか。
アサヒノマスクについては、独立系ニュースサイトの『LITERA(リテラ)』を皮切りに『BUZZAP』『BuzzFeed JAPAN』などが「感染予防に効果が見込めるか」「政府が配布するマスクとの性能の差」等に関する検証記事を掲載。本サイトでも、安倍首相の“朝日攻撃発言”がいかに的外れであるかを裏付ける記事をアップした。
遅ればせながらではあっても、毎日新聞が第一報の記事を軌道修正し、きちんと続報を書いたこと自体はもちろん評価できる。しかし、上述したような自社の第一報における問題点についても、しっかり反省し検証してほしかった。いや、検証すべきだ。
ジャーナリズムの役割、再確認を
ジャーナリズムにとっていちばん大事な役割は、権力をチェックして問題提起し、読者や視聴者に判断材料を提供することだ。
「こんな緊急・非常事態なのに政府や首相を批判するべきではない」といった声が一部から聞こえてくるが、それは間違いだと感じる。新型コロナウイルスの感染拡大防止で緊急事態宣言が出されている今のような“非常時”であっても、あるいは戦時下であったとしても、いや、むしろそういうときだからこそ、ジャーナリズムは全力で、権力者のおかしな言動を厳重に問いたださなければならない。
ジャーナリズムがその役割を果たさなければ、権力は暴走する一方で、国民は正しい判断をすることができなくなってしまうだろう。戦前の国家統制や大本営発表が何をもたらしたか。悪夢へと突き進んで迎えた悲惨な結末を、私たちは歴史から学んだはずだ。過ちを繰り返してはならない。
(取材・文/池添徳明)
【PROFILE】
池添徳明(いけぞえ・のりあき) ◎埼玉新聞記者、神奈川新聞記者を経て現在フリージャーナリスト。関東学院大学非常勤講師。教育・人権・司法・メディアなどの問題を取材。著書に『日の丸がある風景』(日本評論社)、『教育の自由はどこへ』(現代人文社)、『裁判官の品格』(現代人文社)など。