実家である川嶋家は、お父さまの辰彦さんが当時留学や、研究活動を行っていたため、幼少時代は海外生活だった。
「ご両親としては、幼いころにアメリカで過ごされた紀子さまに“肌の色の違いや国籍を超える人間になってほしい”という願いから、さまざまな国籍の子どもたちが集まる公立小学校に通わせました。
その後、紀子さまは大学3年生のときに『東南アジア青年の船』に参加し、日本と東南アジアの親善に貢献するなど、幼少時の体験によって国際性豊かな方になられたのだと思います」(川嶋家の知人)
川嶋家から悠仁さまに受け継がれた“モノを大切に”
独身時代に養われた国際的な感覚が、眞子さまや佳子さまの長期にわたる海外留学、昨年、悠仁さまとブータンを訪れるなど、お子さま方の海外訪問を後押しされているのかもしれない。
川嶋家の教育方針はいくつかあるのだが“モノを大切にする”という心得は、秋篠宮家での教育に通ずる部分も。
「川嶋家には、偏見や先入観を親が押しつけないように心がけ、子どもが自ら価値観を作り上げるのに参考になるような体験をさせるという、独特の教育方針がありました。
服装に関しても、お母さまのお下がりや、習い事の先生からいただいた洋服も喜んでお召しになっていましたね。
悠仁さまも、2歳の誕生日に美智子さまから贈られた木製の汽車を、大切に使いながら遊ばれていたそうです。
3歳ごろに乗られていた三輪車に関しては、眞子さまと佳子さまのお下がりなんですよ。モノを捨てずに大切にするのは公費で購入している皇室の伝統ですが、川嶋家の方針に重なる部分があると思います」(前出・秋篠宮家関係者)
3歳の悠仁さまが三輪車を楽しまれていた一方で、愛子さまの3歳ごろは“音楽”をたしなまれていたという。
そして愛子さまの教育には小和田家の影響が
「まだ2~3歳だった愛子さまは、音楽に合わせて運動する“リトミック体操”が大好きで、陛下(当時皇太子)が弾かれるピアノに合わせて楽しく踊られていました。
音楽と体操で自然とコミュニケーションをとることがお上手で、ご両親はその部分を伸ばしたいということから、東宮御所や東京・青山の『こどもの城』で、ご友人のお子さまたちとともに、本格的なリトミック体操を行われていたそうです」(宮内庁関係者)