ともに旅したことのある同期の藍野美穂元選手は、
「富山競輪の翌日、酒蔵巡りをしてお寿司を食べたり楽しい思い出がいっぱい。競輪学校のころ、成績がギリギリだった私を高松さんはいつも励ましてくれました。私も将来は、ああいうお母さんになりたいな」
スタミナも向上心も鉄人級
レースを離れると同期の選手たちを温かく見守る母の顔を見せる美代子。だが、50歳を迎えた美代子に後はなかった。
「レースが終わったら、高松さんは競輪場のビデオのある部屋に駆け込み、悔しそうに自分のレースを見直していました。それだけでは飽き足らず、開催指導員さんにアドバイスをもらい熱心にメモを取る姿が印象的で、私もそうやって勉強するようになりました」(同期の篠崎選手)
レースがないときも、朝6時半から川崎競輪場で周回練習。7時から9時まで師匠・三住博昭グループのバイク練習をこなすと一時帰宅。午後からもトレーニングルームにこもって、ひとり黙々と練習に取り組んだ。
そのかいあって2013年8月4日に、熊本競輪場で3勝目をマーク。これはガールズケイリンにおける最高齢勝利記録(51歳2か月)だ。しかし、この勝利を境に美代子はまったく勝てなくなってしまう。
さすがの美代子も焦っていた。
「2014年から男子同様、登録審査制度が導入され、レースにより得られるポイントにより、成績不振の選手は強制的に引退させられてしまうんです」
だから、練習を1日でも休むのが怖い。 美代子の中で、そんな強迫観念にも似た思いが芽生えていた。
だが、全盛期こそ、毎日200キロ走って脚力を鍛える競輪選手もいるが、体力の衰えを感じると選手はみな、練習方法を変える。
ガールズケイリン界の“鉄人”にも変化が必要だったのかもしれない。
2016年7月、そんな美代子をアクシデントが襲う。前橋のドーム競輪でもらい事故から落車。頭を打って救急車で病院に搬送された。
「首の第一頸椎を2か所骨折。打ちどころが悪かったら、半身不随になる可能性もありました。これまでも何度か落車して入院したことがありましたが、これほどの事故は初めてのこと。しかも手術もできないので、じっと治るのを待つしかありません」
大ケガをすると、怖くなって走れなくなる選手もいるのだが、美代子の頭を「引退」の2文字がよぎることはなかった。
─何が何でも復帰する。
「競輪選手になることを目指してからの毎日は私の人生の中でいちばん輝いていた日々。復帰を目指して練習を重ねて、もう1度、あの緊張感の中に戻りたい。そんな思いでいっぱいでした」