『三田評論』のインタビューでは、2006年から始めたキャスター業にも話題が及ぶ。いまではすっかり板についた印象だが、視聴者に受け入れられた秘訣を自ら明かしている。
《もう「現場で学ぶ」という感じです。僕はいわゆるアンカーマン的に自分の主義主張や意見を言う立場ではないと思うんです。(略)「僕はあくまで被災地に行って、被災者の方の声を多くの人に届けよう」と。例えば働き方改革の話でも、僕は社会人経験がないからよくは分かりませんが、だからこそ「そんなことがあるんですね」と視聴者の人に伝えられるかもしれない》
そんなキャスターになったきっかけを、《慶應義塾大学を出たということを、自分の仕事に還元できるのではないかと考えた》と、恩師を前にもっともらしい経緯を話していた櫻井。実は、こんな思いもあったのだとか。
「ハワイデビューこそ華々しかった嵐ですが、その後は鳴かず飛ばす。まだ大学生だった翔クンは“この先、嵐はなくなってしまうのでは”と考えていたと言います。今更、お父さんに“ジャニーズを辞める”とも言えない中で、彼が他のタレントと差別化を測った、高学歴ならではの道が司会やMCではない“報道キャスター”に辿り着いたのでしょう」(前出・芸能関係者)
この櫻井の成功を機に、高学歴ジャニーズらが次々とキャスター業に進出。後輩に道を示す“先駆者”になったわけだ。
昨年11月、デビュー20周年を迎えた国民的アイドル・嵐。天皇陛下御即位をお祝いする「国民祭典」で歌唱し、本来ならば今年は東京五輪でも大活躍する予定だった。
《基本的には光栄で、最大の誉だなと感じるだけです。自国開催のオリンピックのお仕事をいただくとか、陛下の式典のお話を最初にいただいた時は、信じられないというか、事が大きすぎて実感がなかったですね。高校3年生の時には、想像もしなかった未来です》
次のステージに行くタイミング
そして気になる今後だ。2020年をもって活動休止する嵐の「未来」を見据える。
《12月31までに嵐としてやりたいことはいろいろありますが、来年以降のことは、まだ具体的に考えられません。一方、ちょうど年齢も39になるので、やはり同級生を見ても転職する人もいるし、次のステージに行くタイミングなんだな、とは感じます》
一部では、五輪延期に合わせて活動延長も報じられたが、実のところはどうなのか。そして、櫻井が口にした、気になる“転職”や“次のステージ”が意味するものは?
「2020年での活動休止はメンバーが長らく話し合って決まった結果です。“じゃあ、延長!”と軽々しく覆すことはないと思います。そして今後ですが、政治家との距離が近かったお父さんのもとには以前より、冗談も含めてでしょうが、“息子の出馬”についての打診も。キャスターとしてさらなる勉強に励み、ゆくゆくはアイドルとしてではなく、政治家として国民の心を動かす日が来るのかも知れませんね」(前出・芸能関係者)
まずは悔いのないラストイヤーを走り抜けてほしい。