そして、警察への疑念だけでなく、「教育」の面でも、この事件を未然に防ぐ重大な機会が、何度もあったことがわかってきた。
まず、10年前に、渡邉さんは放火の被害に遭っていた。渡邉さんの写真はないかと、Aさんに尋ねたところ、「写真もあったけど、10年前、テントに放火され全部、燃えてしまった」というので驚いた。留守にしていたときに何者かが火をつけたらしく、後ほど「未成年が補導された」と行政関係者から聞いたそうだが、地元ニュースにもならなかったという。「一般市民」の家が放火で全焼したら、大問題にされたはずだ。このときもやはり「ホームレスのテント」だから軽視されてしまったのではないか。
かつて姫路の橋の下で野宿していた人が、テントの中へ少年らに火炎瓶を投げられ、焼死した事件を取材したことがある。やはりそのときも、人が死ななければ報道もされなかった。
誰にでもホームレスになる可能性がある
さらに、放火事件の数年後には、近くの市立小学校の児童が渡邉さんに石を投げる事件も起こっていた。児童の年齢も人数もわからなかったが、教師2名が謝罪に来て「二度とこのような事が起こらないように、しっかり指導します」と約束したという。
この時点で、地域の学校、岐阜市すべての小学校・中学校で、「ホームレス」問題の人権教育に取り組むことができていたらと、残念でならない。「ホームレス」襲撃は、弱い立場の者を攻撃する「いじめ」と同じ根を持つ、重要な人権課題であると位置づけ、教育委員会・学校が率先して、襲撃防止の教育実践を推進していたなら、岐阜県全体の教育にも影響を与えたことだろう。なぜなら、過去、そのようにして、取り組んだ地域では、実際に襲撃が激減、または止まっている、からだ。
子どもの投石を軽んじてはならない。投石は、いわば蔑視と憎悪の塊だ。最初は小さな石が、次第に大きな礫となり、エスカレートし、暴走していく。さらに、相手が、身の安全を守れる家を持たない「ホームレス」の人となれば、いくら「殺すつもりはなかった」といっても、突然、あっけなく命までも奪いかねない。
その危険性を、親も教師もリアルに理解していない。子どもを加害者にしたくなければ「近づかないようにしましょう」という差別を助長するような「指導」ではなく、本気で貧困の構造を教え、本気で子どもたちの抱えるストレスの解消に、向き合うべきなのだ。
人は、なぜどのように「ホームレス」状態になるのか。本当に働くのが嫌で、好きこのんで野宿しているのか。ほとんどの人が廃品回収や日雇い労働などで働き、仕事を求めている。それぞれの人に、リストラ、失業、借金、事故、病気やケガ、天災、家族の死や離縁、家庭内暴力……など、野宿に至った背景があり、発達障害や知的障害など、見た目では理解されにくい障害を持っている人も少なくない。
そしてまさに「コロナショック」の中で、今後さらに職や家をなくす人々が急増するだろう。誰にでも「ホームレス」になる可能性があり、たとえ職を失い、家をなくし、税金を払えなかろうが、人としての権利と尊厳が脅かされることがあってはならない。
今回、逮捕された少年5人は、高校時代は甲子園を目指して汗を流した球児だったという。野球を続けるために入った大学、その先には実業団への就職など、を夢見ていたかもしれない。なのに、なぜ、こんな非道な「ゲーム」を繰り返すようになったのか。
今この自分に価値があると思えない自尊感情の低い人間は、その不安と劣等感から、より弱い立場に誰かを置いて攻撃し、貶め、支配しようとすることで、優越感を保とうとする。学校や職場のいじめも、DVも、「ホームレス」襲撃も、すべての「弱者いじめ」の根底に、無意識にせよ、加害者の劣等感、自己否定感がある。
彼らがどんな劣等感を抱えていたかはわからない。おそらくそれが自覚できていれば、こんな事件は起こさない。「勝てない自分には価値がない」という、自己否定が、「稼げない人間には価値がない」とみなす競争社会の中で「経済的敗者」に見える野宿者への憎悪と侮蔑を助長したかもしれない。
加害者少年たちの背景については、今後の公判のなかで解明されてゆくことを期待したい。
◆ ◆ ◆
5月下旬、『岐阜・野宿生活者支援の会』はじめ、私が関わる『ホームレス問題の授業づくり全国ネット』など4団体で、本事件にかかわった少年らが在籍していた朝日大学に、「ホームレス」問題の人権教育の実施などを求める要望書を、提出した。
そして、6月初旬、朝日大学において、要望書を提出した私たちと
渡邉さんに起こった悲劇が二度と繰り返されないよう、子どもたちがこれ以上もう加害者にならないよう、岐阜の教育にとって、小さくても重要な「はじめの一歩」となることを願っている。
事件後、関係のない学生たちまでネットでの攻撃や誹謗中傷を受けるなど、多くの学生たちが傷ついてもいるだろう。「私刑」と称して、真偽が判らない「犯人の実名と顔写真」を晒すなど、おぞましい攻撃性も噴出している。それはたとえば「ホームレスは社会のゴミだから掃除しただけ」と、「ホームレス狩り」をある種の「正義」として正当化するような加害者の心理と地続きではないか。
暴力を、暴力で裁くのは、もう止めたい。私たちの社会は、これからさらに、光も闇も濃くなる。コロナ禍で、分断・紛争が激化する一方で、世界が模索している「もうひとつのやり方」、非暴力の方法で、いのちへの襲撃を、弱者いじめの連鎖を止めたいと、私は願う。
誰が、何が、渡邉さんの命を奪ったのか。少年らの罪が正当に裁かれ厳しく罰されることは当然のこととして、少年らだけが裁かれて解決することではない。
この社会を構成している私たちひとりひとりの意識、社会の共犯性を省みながら、少年らの審理を今後も追っていきたいと思う。そうして、過酷な被害を生き延びたサバイバーである女性Aさんが、今後、何を望むか、被害届を出して法に訴えたいか。彼女自身の意向に沿いながら、支援していきたいと思う。
今後とも、ひとりでも多くの方の、ご支援ご関心を、よせていいただけたら幸いである。
北村年子(きたむら・としこ)◎ノンフィクションライター、ラジオパーソナリティー、ホームレス問題の授業づくり全国ネット代表理事、自己尊重ラボ主宰。 女性、子ども、教育、ジェンダー、ホームレス問題をおもなテーマに取材・執筆する一方、自己尊重トレーニングトレーナー、ラジオDJとしても、子どもたち親たちの悩みにむきあう。いじめや自死を防ぐため、自尊感情を育てる「自己尊重ラボ Be Myself」を主宰し、自己尊重ワークショップやマインドフルネス講座も、定期的におこなっている。2008年、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」を発足。09年、教材用DVD映画『「ホームレス」と出会う子どもたち』を制作。全国の小中学・高校、大学、 専門学校、児童館などの教育現場で広く活用されている。著書に『「ホームレス」襲撃事件と子どもたち』『おかあさんがも