翌年、プロ編入制度の導入が正式に決まる。ひとつはアマチュアの全国大会で優勝し、奨励会三段リーグへの編入試験を受験するもの。もうひとつは瀬川さんのようにプロ公式戦で10勝5敗以上し、プロ棋士との編入試験を受けるというもの。どちらのルートも年齢制限はなく、何度でも挑戦できる。

 今泉さんはネット将棋で腕を磨き、前者の試験を受験。33歳で合格し、三段リーグで4期戦うことを許された。師匠は財テク棋士として有名だった桐谷広人七段が引き受けてくれた。

 1期目で9連勝してトップを快走していたときのこと。

「このままうまくいっていいのかな?」

 なぜか、そんな感情が湧いてきた。

「その後は5連敗して奈落の底にゴロゴロゴロー。将棋を指していて、何より気持ちって大事なんですよね。焦っちゃいけないところで焦ると一気に崩れてしまうので」

 結局、2年後に再び奨励会を退会─。

「たぶん三段リーグを2度やったのは僕だけです。スッキリしました。俺はもう、プロ棋士になる能力はないと完璧に割り切れました。ただ、これからどうするかという絶望感はありましたね。ちょっとだけ職歴はあるけど、35歳、中卒ですから」

介護の仕事で見つけた、すっごい発見

 奨励会の幹事だった人の紹介で、次に向かったのは東京の兜町だ。証券会社で元奨励会員が何人も働いていた。

「あなたには絶対無理!」

 家族には猛反対されたが、押し切った。研修後、トレーダーとして株の売買をしたが、負けてばかり……。

 結局、紹介してくれた人に礼状を書いた3か月後にはわび状を書き、福山に戻った。

「介護の仕事をしてみないか」

 そうすすめたのは父の正さんだ。職業訓練校の介護コースで半年間勉強をしながらお金をもらえるという。貯金もまったくなかった今泉さんは、すぐに応募した。

 ヘルパーの資格を取得し、高齢者向けの小規模多機能ホームに就職が決まった。

 初出勤の日。

「おはようございます!」

 利用者の高齢男性に張り切ってあいさつをすると、いきなり右ストレートが飛んできて殴られた。その男性にとって目障りな場所に、今泉さんが立っていたからだ。

 別の高齢男性は、普段は穏やかでよく笑うのに、トイレに連れて行こうとすると激しく抵抗する。

「行かんもんは行かん!」

「まあ、そうは言ってもなー。ちょっとスッキリしていきましょうよ」

 あれこれ話しかけながら誘導する。実はその男性、戦時中シベリアで独房に入れられていたことがあり、閉所を恐れていたのだ。

「介護の仕事を始めて、目からウロコが5枚くらいポロッポロッと落ちました。介護では相手の気持ちになって考えることが大切なんですね。これは今泉の中で、すっごい発見でした。将棋を指していたときは、自分のことしか考えていなかったから」

 仕事を始めて半年後のこと。トイレ嫌いの男性にいつものように声をかけると、男性は今泉さんの手を取って、唐突にこう言った。

「兄ちゃんの手、ぬくいなー」

 翌朝、出勤した今泉さんが起こしに行くと、男性はベッドの中で冷たくなっていた。

「目の前で人が亡くなっているのを見るのは初めてだったので、ものすごいショックでした。めっちゃツラかったです。その後もたくさんの死とめぐりあって、本当に人はいつ死ぬかわからない。だったら、僕は笑顔で生きていきたい。周りの人も笑わせたいと思ったんです。苦しい局面も楽しめるようになってきたら、将棋の成績もすごく上がりだしたんですよね」