6月5日、生田斗真(35)が結婚を発表した。相手は清野菜名(25)。人気と実力を兼ね備えた、役者夫婦の誕生だ。
生田が所属していた伝説ユニット
ジャニーズと結婚という観点でいえば、ソロならではの身軽さというものも感じられる。グループで活動している人に比べたら、自分の意志で決定できる部分が大きく、ハードルが少し低めなのだろう。生田同様、役者をメインにソロで活動する風間俊介がすでに妻子持ちであることも、その一例だ。
そんな生田と風間には、もうひとつ共通点がある。それはかつて、Jr.時代に同じユニットのメンバーだったことだ。その名は『FOUR TOPS』。このふたりに、山下智久、長谷川純からなる4人組である。
このうち、生田、風間、山下の3人は'98年に「文具券」のCMで共演。そしてこの年『8時だJ』(テレビ朝日系)の番組内オーディションで選ばれ、ジャニーズ入りしたのが長谷川だ。その4年後、彼らはFOUR TOPSになるわけだが、それまでにかなりのキャリアを積み上げていった。
まず、生田は'96年に『天才てれびくん』(NHK教育)のてれび戦士としてデビュー。翌年には朝ドラ『あぐり』(NHK総合)で役者デビューも果たした。
また、風間は'99年に『3年B組金八先生』(TBS系)でメインの生徒を演じ、翌年にはアニメ『遊☆戯☆王 デュエルモンスターズ』(テレビ東京系)で主役の声優に起用される。'01年に始まったJr.番組『裸の少年』(テレビ朝日系)では司会も務めるなど、マルチな才能を発揮していた。
そして、山下は'00年に『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)でブレイク。Jr.内では滝沢秀明の後継者として期待される存在だった。
残る長谷川は、'98年に『眠れる森』(フジテレビ系)で主役・木村拓哉の子供時代を演じてデビュー。'00年からは『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)のレギュラーとしても活躍していた。
そんなFOUR TOPSが結成された'02年は、タッキー&翼がデビューした年でもある。つまり、ツートップが抜けたJr.新体制において、ポスト・タキツバの座をKAT-TUNと争っていたのが彼らだったのだ。
しかし、ジャニー喜多川社長(当時)はFOUR TOPSをそのままデビューさせるつもりはなかったという。風間がのちにこんな話を明かしている。
「社長にこのメンツでデビューすることはない。お前らはそれぞれのところで頑張るからFOUR TOPSと、言われました」(『TOKIOカケル』'17年4月26日放送回)
実際、タキツバの翌年にデビューしたのは、NEWSだった。その中心に山下が据えられ、ほかの3人は選ばれなかったことで、FOUR TOPSは解散。さらに、翌'03年には関ジャニ∞がデビューすることになる。