仕事を選ぶ際にも、お金は二の次。出演するかどうかは、俳優として“新しいチャレンジができるかどうか”だった。
「映画『釣りバカ日誌』に出たときは出番がたったワンシーンだけの小さな役だったのですが、“三國連太郎さんと芝居ができるなら”と、別の主演オファーを蹴ってまで出演したそう」(映画関係者)
だが一方で、妥協しない姿勢を貫いたことで、周囲からは「気難し屋」「自分勝手」という声もあがった。『日本アカデミー賞』の授賞式では、先輩俳優から態度と礼儀に苦言を呈されたことも。
マスコミもビビる若かりしころ
「できあがった映画パンフレットの表紙写真を“おもしろくない”と変更させたりとか、撮影中に脚本を書き直させたり、なんていうこともたびたびね。まぁ、それだけ、どんな作品でもいっさい手を抜かない役者だっていうことでもあるんです。ただ、できあがった映画の宣伝に積極的じゃなかったのは困りましたけれど」(同・映画関係者)
今でこそ、PRのために雑誌の取材やテレビ出演に応じることも珍しくないトヨエツだが、当時は大の“マスコミ嫌い”“インタビュー嫌い”として恐れられていた。
「若いころの彼は、宣伝マン泣かせで。主演映画でも、テレビに出たり雑誌の取材を受けたりしないんです。受けてくれても“同じことを語ることになるから”と、50件も舞い込んだ取材依頼の中の1社だけ受けるとか、全社合同の“囲み取材だけ”とかね」(同・映画関係者)
当時、実際にトヨエツを取材したという貴重な経験を持つライターによると、
「豊川さん本人は、いたって気さくな人。普段は関西弁でカッコつけてもいないし、サンダルばきで取材スペースに来ることも。むしろ、サービス精神旺盛な人じゃないかなぁ。ただ話の端々から“役者は演技で客を呼ぶもの”というポリシーは感じましたね。それに“プライベートの質問はNG”という暗黙のルールはありましたけど(苦笑)」
トヨエツが私生活を語らない理由のひとつには、数々の女性たちとの愛憎劇があったから、ともいわれている。