人間のように扱われるプリンちゃん
「成長を促すためのチャレンジとして動物に芸を覚えさせるという発想に、強い違和感を覚えます。それは、プリンちゃん自身はそのような成長をまったく望んでいないと考えられるからです。芸をさせたいのは人間の側であって、プリンちゃんが自ら進んで芸を覚えたがっているわけではありません。
未来のことを考えて、自分の意思でチャレンジして努力しているわけでもないでしょう。芸を覚えさせる人間側の視点に立てば、縄跳びの修得を“成長”と見なせるのかもしれませんが、プリンちゃん自身にとって、それがどのような意味を持つかを考えなければいけません。
プリンちゃんは、何をしたら観客を笑わせたり喜ばせたりできるかを理解してやっているわけではありません。ただトレーナーに指示されるままにやっているだけでしょう。人間のように扱われているので、人間の子どもが舞台に出るのと同じような感じでプリンちゃんも“頑張っているのだ”と思う人がいるかもしれませんが、同じではありません。芸を修得してショーに出ることが、プリンちゃんにとって意味のある“成長”につながるとは思えません」(松阪さん、以下同)
報道では記事のタイトルに《再開心待ち》《志村さんに見せたかった》という言葉が踊っている。しかし、記事の本文ではプリンちゃんが再開を心待ちにしていたような様子、また感情の描写についてはまったく書かれていない。
「通常の動物ショーやサーカスでは、動物たちは単に芸を教えられるだけで、それがその動物の“成長を促す”という視点が持たれることはあまりないのではないでしょうか。
プリンちゃんの場合には、彼女を“擬人化”して扱っているために、そのような発想が持たれやすいのだと思います。そしてこれがさらに“成長のために頑張ったプリンちゃん”とか“志村さんのために頑張ったプリンちゃん”といった間違ったイメージにつながってしまうのだと考えられます」
問題は強要的なショーへの出演だけではない。