『株式会社TOKIO』の3人としての音楽活動は?

松岡「チャンスをいただければやりたいですが、それもいろんな形のTOKIOを作っていこうと思っています。音楽をやめるというのは考えていません

 TOKIOの音楽プロデューサーは、これまで長瀬が努めてきた。今後の音楽プロデューサーは誰が担うのか?

松岡「個人になるんじゃないんですかね。僕も国分さんもリーダーも、自分で曲や歌詞も作る。3人でとなったら、3人で考える。今までは長瀬を中心にして、音楽のビジョンは彼が1番見えていたので、それに合わせて、われわれは納得してやっていた。

 彼がいなくなったら誰かがプロデューサーになる、というわけではないんです。みなさんが思っているような音楽プロデューサーとはちょっと違う。もしくは音楽プロデューサーというか、一緒にやっている仲間はいますので

新会社でのそれぞれの役割

 国分は『株式会社TOKIO』について、自ら会社資料を作成中。完成前であるという資料をもとに、説明をする。

国分「これまで持っていた“楽器”を“金づち”に持ち替える、というイメージです

 バンドから会社へ。リーダーから社長へ。社長は城島茂。企画を考えるのは国分太一。広報は松岡昌宏です。

 僕らって“手づくり”のイメージがすごく強いと思っています。これまで、いろんな“モノづくり”をしてきました。それはテレビ局が作ってくれたレールに、僕らは乗っかって、ここまで来ることができた。そのレールを自分たちで敷いていく。何でも作っちゃう。手始めに、まず会社を作りました。そういった“会社づくり”が、すでに僕たちなりの面白いエンタメになっていると思っています。

 例えば、名刺を作る。僕らと縁が深い福島県で、切った木を紙にして、それを名刺にする。その過程を見せる動画も作る。今まで経験させてもらったことは、社会貢献にもつながっていくとも思っています。ファーム、食育、子どもが体験する場所、町おこし。日本のモノづくりの現場には、たくさんの職人さんがいます。僕らのテーマも“手づくり”です。そこで職人さんを応援する場所を、アンテナショップ的に『株式会社TOKIO』から配信していく。TOKIOから全国に。各企業ともタッグを組む。イベントにも参加する。それらを楽しみながら、かかわった人みんなのことを『TOKIO』と呼びたい。

 それを夢物語ではなく現実にしていくのが、会社の進む道だと思っています」