その石原軍団の代表作といえば、『西部警察』と誰もが口を揃えるだろう。'79年から'84年までテレビ朝日系で放送された伝説の刑事ドラマだ。
渡扮する大門刑事が石原軍団ならぬ“大門軍団”と呼ばれる刑事たちを率いて、悪に立ち向かうのだが、劇中で繰り広げられる銃撃戦やカーチェイスがそれまでの……いや、今日までのあらゆる刑事ドラマのレベルをはるかに超えた、とんでもないスケールで行われ、放送当時、絶大な人気を博した。
「放送されていた5年間に車4600台、建物を320棟も壊したという“記録”が残っています。撮影の爆破シーンで使ったガソリンの量は2万5000リットル、火薬の総量は5トン! 飛ばしたヘリは600機。派手なアクションモノのハリウッド映画でも、1本あたりに使う火薬量なんてせいぜい数十キロ~100キロ程度ですからね」(ドラマ制作会社関係者)
ちなみに、1トンの爆弾が爆発すると“爆心地から80メートル以内の建物はすべて倒半壊”“500メートル離れていても鼓膜が破れる”ほどの衝撃だというから、それが5発分とは凄まじい……!
「カースタントも派手でしたねぇ。芝浦運河をジャンプで飛び越えさせたり、銀座で本物の装甲車を走らせたり……(苦笑)。でも地方ロケのときのほうがもっと凄まじかったんですよね。広島では路面電車を大爆発させた、なんてこともあったんです。でも、どこからも苦情がないどころか、どの企業もロケ地の役所も喜んで協力してくれたそうですよ。それだけ日本中から愛されていたんですよ」(前出・ドラマ制作会社関係者)
さらに、今の時代では考えられないことも。
「愛知での撮影では、撮影のために高速道路を封鎖したこともあるんです。渡さんの乗ったフェアレディZがカーチェイスするシーンを高速道路で撮りたいということになって。愛知県警が“そういうことなら止めましょう”と協力してくれました。当時だから許されたんでしょうね(笑)」(前出・浅野専務)
『西部警察』そして石原軍団が行く先々で、見物人は膨れ上がった。
「“大阪でのロケの御礼に”と、挨拶代わりに無料コンサートをやったんです。そうしたら会場だった大阪城公園に15万人もファンの方々が押し寄せちゃって……(苦笑)。大阪府警から“これ以上は危険ですから”と言われて入場規制することになって、いやぁ大変でしたね」(前出・浅野専務)
車が見物客に……
土下座で謝罪した渡
だが、まさにそのド派手アクションと、多くの人々を集めてしまう人気ぶりがアダとなった出来事が起きる。
'03年、19年ぶりの新作連続ドラマとして放送されるはずだった『西部警察2003』でのことだ。
この『西部警察2003』は、“21世紀の石原裕次郎”こと徳重聡を主演に据え、1話あたりの制作費1億円、予算総額10億円超という触れ込みで大々的に制作発表された。
ちなみに、通常の連ドラ制作予算は1話あたり2000~3000万円ほど、NHKの朝ドラですら年間予算が15億円ほどだと言われているから、この10億円はとんでもない数字。当時の石原プロの並々ならない力の入れようもうかがえる。
「この撮影で使うためだけに9000万円もする本物の消防車をわざわざ購入しちゃったくらい。準備万端だったんですが……」(ドラマ制作会社関係者)
クランクイン翌日の'03年8月、名古屋市街地でロケ撮影中、出演者の運転する車が、ロケの見物人に突っ込むという事故が起きてしまったのだ。
「不幸中の幸いで亡くなった方はいませんでしたが、5人が重軽傷を負って入院。当時、石原プロの代表でもあった渡さんは、すぐに制作の中止を決断。テレビ局にも放送の中止を申し入れたんです。“何とか放送だけはしてほしい”というファンや関係者、さらには怪我をさせてしまった被害者からも“続けてほしい”と声が上がったんですが、渡さんが“そんな無責任なことはできない、筋が通らない”と」(前出・スポーツ紙記者)
同時に、渡は怪我を負った被害者のもとへ謝罪にも訪れた。
「ひとりひとりのベッドの横で土下座をして謝ったんです。たしかに責任ある立場とはいえ、あれだけの大物俳優ですよ? なかなかできることじゃないですよ」(前出・スポーツ紙記者)
この渡の誠意ある決断と謝罪は、「さすが渡哲也」「さすがは石原軍団」と世間から高く評価された。
「この一件で逆に株を上げましたからね。そのおかげもあって、事故から1年後には、すでに収録済みだったシーンを再編集して、『西部警察』のスペシャルドラマとして放送することができた。完全お蔵入りが避けられたわけですよ。不祥事や不倫で大炎上している今のタレントも、渡さんの爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいですよ(笑)」(前出・スポーツ紙記者)
その渡は、新たにマネジメント会社の立ち上げを模索しているとも言われている。
「まだ何も決まっていませんが、所属する全員がしっかり次に進めるように、きちんと面倒を見ます。それが私たちの最後の仕事ですから」(前出・浅野専務)
石原プロは解散してしまう。だが、その火は消えない。石原軍団の男気――魂は令和の時代にも受け継がれていくだろう。