将棋界に入った、あのころ
もちろん作家にも性別はあり、私も女流作家などと呼ばれるときもあるが、作家は作品がすべて。女の作家と本は格下、なんてことはない。
そういえば林葉さんは漫画の原作を手がけるときは、かとりまさる、という男の名前を使っておられた。いろいろな思いが、その男名前には込められていたのだろう。
それにしても、知れば知るほどますます異界ぶりを深めていく将棋界。
そんな世界に子どものころから入り、なんと小学6年生で内弟子として有名棋士のお家に住み込むのだ。いかに天才少女といえど、ランドセル背負った子どもだったのだ。
「博多弁しかしゃべったことなかったのに、東京の家に放り込まれて。師匠の奥さんを奥様と呼ばされました~。あの気を遣った日々を思えば、今とっても気楽といえます。
うちの師匠はね、いつもピリピリした人だったんです。なのに言うことが二転三転する。おまけに女遊びが激しくて、ほとんど家にいなかったから、ご自宅で何か教わるなんてことも実際はないに等しかったですね。うちの父と似たようなタイプだから、慣れていたので私はあんまり動じなかったんですけど。
でも一緒に住み込みの内弟子だった先崎学くんは、師匠のそんな性格についていくのが大変だったみたい。よく悩んでいましたよ」
それにしても、周りがみんなライバル、競争相手、つまり敵だらけというのはまったくもって想像もつかない世界だ。しかも、シビアに明確に勝ち負け、勝者と敗者が目に見える。何をいっても勝ちは勝ち、負けに言い訳はきかない。
林葉さんも私も作家でもあるが、こちらの世界は「あの本は売れてるけど、私のほうがおもしろい」「あの作家は売れてないが才能はすごい」といった負け惜しみや詭弁と取られるものだって、受け入れられる余地もある。
「女流同士はそれでも、仲よくしてましたよ。人数が少ない、てのもありますが。なんたって、男のほうが嫉妬深いですからねー」
冗談めかしていったけれど、今の天真爛漫さの向こうの過去の苦難と苦闘が見え、今はそれらがすべてなくなったために気楽でもあるんだろうな、と察した。
「藤井くんの師匠の杉本昌隆さんとは、年が近いこともあって、棋士当時よく顔を合わせていたんです。おとなしくて優しい人でね。当時は気が荒い人が多かったから、この人大丈夫かな、やっていけるのかな、という感じでしたね。
でも、早いうちに地元で指導者になって、藤井くんとか、強い子たちを育てているでしょう。うちの師匠たちとはまったく違って、将棋界とはどういうところなのかとかも教えてあげているみたいね。勝負師より、指導者のほうが合っていたんでしょうね。私は(指導者は)無理かなあ(笑)」