「離婚を発表した文書には、今後は子ども中心にふたりで協力して育てていくと書かれていました。杏さんは両親のことでこれまでそうとう苦労されてきたので、同じ思いをさせたくないと思ってのことでしょう」(スポーツ紙記者)
女優として芸能界で確固たる地位を築いた杏だが、家庭では苦難の道を歩んできた。
「杏ちゃんは地元の野球チームに所属していて、活発な女の子でしたよ。よく謙さんとキャッチボールしていましたね。幸せそうだったんだけど……」(かつての近隣住民)
泥沼裁判に渡辺謙は
渡辺謙と元モデルの母親の長女として'86年に生まれ、兄の渡辺大とともに幸福な子ども時代を過ごした。しかし、8歳のときに父が白血病を発症したことを機に、彼女の運命は暗転する。
「'01年に多額の借金が発覚。税金を滞納していたことから自宅も差し押さえられてしまったのです。謙さんは借金の理由を白血病で入退院を繰り返していたことと、2億円豪邸のローンが理由だと会見で話しましたが、事実は違った。母親が子どもの同級生の保護者たちから億単位の借金をし、新興宗教に貢いでいたのです」(スポーツ紙記者)
'02年3月には渡辺が杏を連れて家を出るが、数日後に杏はひとりで母親のもとに戻った。7月からは両親の離婚裁判が始まる。渡辺の不倫相手とされる女優らの名前が暴露されるなど、裁判は“ドロ沼”に。
「杏さんは'99年に父親のことを隠して、自ら芸能事務所のオーディションに応募し、2000人の中から選ばれていました。'01年に15歳になった杏さんは『non-no』のモデルとして活躍し始めた矢先に家庭が崩壊したのです」(同・前)
同級生への借金返済が滞り、胸を痛めた兄の大は『週刊文春』で父への手紙を公表する。