ひょっとすると小泉はアイドル時代から、裏側で仕掛けているオトナの存在をよくも悪くもおもしろがっていたのではないか。『なんてったってアイドル』でオトナが後ろにいる事実を歌っていたアイドルが現在では、そのオトナ側にまわってプロデュースを行っていること。そこに当時と今とがつながった感がある(もちろん、小泉本人にはそういう考えはないだろうけれど)。
ちなみに『なんてったってアイドル』のような、ある種のメタ的(二次的)構造を持った小泉作品でもうひとつ有名なのが、NHKの連続ドラマ小説『あまちゃん』だ。小泉は同作で、自身の経歴が重なるようなキャラクター、'86年デビューの元アイドル歌手・天野春子を演じた。オンエアの同年には、紅白歌合戦に登場して劇中歌を歌唱。この紅白の舞台では、ドラマのストーリーに膨らみをもたせる演出が施され、作品として本当の意味での完結を迎えた。
同ドラマでは、春子のかつての持ち曲を娘・アキ(のん)が引き継いで歌う展開も見どころだった。そういえばアキが芸能事務所から独立したとき、春子が新たに事務所を開いてマネージャーとプロデューサーを買って出た。その物語の内容も、偶然ではあるものの、昨今の小泉に近い結びつきがある。
「いつも新しくいたい、そう思ってる」
また、小泉は“嗅覚(きゅうかく)の鋭さ”も特徴的だ。仕事をともにする作り手の面々が、絶妙な線をいっている。
アイドル時代の彼女の思考をひも解いてみる。'88年に発刊された自著『人生らしいね』で小泉は、自分には不釣り合いなラブロマンス映画をやってみたいと言い《これからのコイズミは思いきっていろいろなコイズミをやってかなきゃつまんないし。いまだからできることってあるじゃん。アイドルだって変わってきたし。いつも新しくいたい、そう思ってる》と、周囲が思い描いているコイズミ像、アイドル像の先へ進もうとしていた。
また、同著で《やりたいことを見つけて、もっともっとみんなの前に広げてみせて、いろいろと尋ねたい、どう思う?って。みんながどんな顔をして私を見つけてくれるか追っかけっこだわ》と、いい意味で人を裏切り、驚きのある物事を生み出していきたい、という旨を綴っている。
新しいもの、誰も見たことがないもの。それを追求する小泉は、メジャー、インディーズにかかわらず、いわゆる“売れ線”とは一線を画した表現に取り組む創作者と接近していく。
代表的な人物のひとりは、映画監督の黒沢清。「黒沢作品は問答無用に出る」と絶大な信頼を寄せ、現場をともにしてきた。黒沢監督の基盤は、'80年代の自主製作映画だ。立教大学時代に所属していた自主製作集団「パロディアス・ユニティ」のころから失われていない野心的なテーマへの挑戦と表現は今なお健在。映画『トウキョウソナタ』('08)は特に傑作で、主人公の母親役を演じた小泉の存在感も際立っていた。
『あまちゃん』の脚本家・宮藤官九郎も、サブカルチャー的なアンテナを張りめぐらせたクリエイションで知られている。そのほか映画監督の相米慎二、伊藤俊也、ミュージシャンの近田春夫、細野晴臣ら名匠陣とのコラボレーションなども好例だ。
いずれも作品がきっちり議論の対象となり、鑑賞者に何かしら引っかかりを持たせるクリエイターばかり。このように、文化への意識と作家性が強い面々と積極的に交わる姿勢からも、小泉は単に「ヒットすれば勝ち」という思考の持ち主ではなく、作品を生み出したその先に何があるのか、どんなメッセージを訴えられるのかを大事にしていることがわかる。