土屋の何事にも全力で取り組む姿勢はどうやって育まれたのか。インスタグラムには、
《子どもの頃、がむしゃらにスポーツをして、その時に感じたり鍛えたりしたものを心の根っこにして女優の仕事に出会ってからもがむしゃらに生きてきた》
という投稿もある。どうやら、そのルーツは小学生時代に通っていたスポーツクラブ『バディ陸上クラブ』にあるようだ。
「バディは、“やればできる、という精神を子どものころから意識させる”という方針のもと、都内を中心にスポーツ幼児園や小中学生向けのスポーツクラブなどを運営しています。陸上クラブはその中のひとつ。サッカー日本代表の武藤嘉紀選手も同クラブの卒業生です」(一般紙記者)
恩師が明かす「土屋太鳳の強さ」
バディの創立者で、バディスポーツ幼児園理事長の鈴木威(たけし)さんに話を聞いた。
「太鳳は小学校のころ、うちの陸上クラブに通っていました。お姉さんの炎(ほの)伽(か)や弟の神(しん)葉(ば)も、そろって通っていましたよ。日舞やクラシックバレエもやっていて、習い事が多く忙しかったはずですが、陸上の練習には毎回遅れずに来て、いつも楽しそうに走っていましたね」
土屋の活躍ぶりについては、
「バディは、自分の力で辛いこと、苦しいことを乗り越え、いくつもの成功体験を通じて“やればできる”“最後までやり遂げる”という自信を持てる子どもに育てています。ご両親の教育方針が素晴らしかったのはもちろんですが、バディで学んだことが太鳳の頑張りの原点にあると思うとうれしいですね」(鈴木さん)
あの激走や“命がけの番宣”をやり遂げた根性が、このクラブで鍛えられたことは間違いなさそうだ。運動以外でも“最後までやり遂げる”意識が、土屋に根付いているエピソードも。
「女優業のかたわら、大学での勉強に取り組んでいますよね。ほかの人よりちょっと時間がかかっていますが(笑)。普通なら本業優先で学校を辞めてしまう人も少なくないと思いますが、多忙にもかかわらず、卒業できるように頑張っている。こういうところにもバディでの経験が生きているのかな」(鈴木さん)
鈴木理事長とともに、当時、土屋を指導した岸政智コーチにも話を聞くことができた。
「もともと長距離が得意な子でしたね。長い距離を走らせても楽しそうにしていました。長距離以外にも、走り高跳びをしたり、いろいろな競技に挑戦しましたが、どれも積極的に取り組んでいましたよ」
募金ランでは、コースを走るメンバーにエールを送り続けていた。彼女の仲間を思いやる気持ちは、子どものころから変わっていないようだ。
「東京の八王子にある小宮公園で練習をしていたときのことです。公園内の『ひよどりの道』というコースを走るんですが、当時の武藤選手すら、“あそこでの練習はもう嫌だ”と言うほどの、アップダウンがきつい大変なコースなんです。彼女もその練習に小学5年生くらいのころに参加したことがあるんですが、走り終えたあと、自分より年下の子に“大丈夫?”“頑張ったね”なんて声をかけていたんです。自分も疲れているはずなのに、ほかの子を労って気配りをしている姿を見て感心しました」(岸さん)
チャリティーマラソンのランナーとして、今度は1人で100キロを走る日も、遠くはなさそうだ。