7月18日に三浦春馬さんが亡くなってから、9月4日で四十九日を迎えた。
「所属事務所から、三浦さんが亡くなった日の動向について改めて報告されました。また、年内にお別れ会を開く方向で準備することが発表されています」(スポーツ紙記者)
会の開催を働きかけたのは、三浦さんの地元・茨城でご当地ヒーロー『イバライガー』を運営する会社の代表、卯都木睦さん。サーファーとしても有名で“サーフィンの師匠”として、三浦さんと16年以上の親交を重ねてきた。
「なるべく早くやってあげてほしい、とお願いしました。そのときには、サーフボードやウエットスーツなど、彼が大切にしていた道具を展示したらどうか、とも提案しました。サーフィンをやっているときの春馬は、いつ見てもとても楽しそうでしたから」
卯都木さんは三浦さんの死について、“突発的だったのではないか”と話す。
「死にたいと思っていたわけではないでしょう。今度、アメリカでサーフィンをしようと去年の8月に約束していたんですよ。誘ったら“行きたいです”ってすぐスケジュールを確認し始めて。今年は仕事がいっぱいだから来年だな、なんて話して、すごく楽しみにしてましたから」
三浦さんからの最後の連絡
最後の連絡は3月だった。
「ペットボトルの水を2ケース送ってくれたので、“いろいろ大変だろうけど頑張れよ。どんな状況でも俺は味方だから”とお礼のメッセージを送ったんです。既読にはなったけど、そのあと返信はなかった。既読のままなんてよくあったし、単に忙しいんだろうと思っていました」
コロナ禍で、都心から茨城に行くのも難しかった。
「普段なら突然“明日行っていいですか?”って春馬から連絡があった。このご時世で、休みでも家から出にくいだろうし、撮影が再開したら忙しくなるだろうと、僕からの連絡は控えていたんです。“間隔が空きすぎるとサーフィンの腕がなまっちゃうよ”と1度でも海に呼んであげれば、少しでも状況が変わったのかな、なんて思ってしまって、とても後悔しています。悔やんでも悔やみきれませんが」
芸能界でも、多くの俳優やアーティストが三浦さんの突然の死を惜しむ発言をしている。しかし、大親友の佐藤健は今も沈黙したままだ。
「三浦さんとは絆が深く、昔は春馬と健で“はるたけ”と呼ばれていたこともありました。関係が近いだけに、自分の中で納得するのに時間がかかっているんだと思います。佐藤さんは自分の発言が三浦さんのファンにとって大きな意味を持つとわかっていますから」(芸能プロ関係者)
佐藤は9月1日、ライブ配信アプリでファンから近況を問われ、「ゆるゆるとやっておりますよ」と答えていた。
「三浦さんのファンが心配しているのをわかっていたから、あえて“元気です”とは言わなかったんだと思います。元気なわけないですからね」(同・芸能プロ関係者)
卯都木さんは今も、ことあるごとに三浦さんのことを思い出すという。誰もが、いまだに彼の死を受け入れることができないでいる……。