「もう苦しまなくていいよ」

 人事異動が実施されるまでは我慢しようとした俊夫さん。しかし、異動は叶(かな)わず、精神状態は急速に悪化。その後、うつ病になり、病気休暇に入った。家でも「内閣が吹っ飛ぶようなことを命じられた」「最後は下っ端が責任を取らされる」「ぼくは検察に狙われている」などと、ずっと怯(おび)えていたという。そして、最悪の結末が訪れた。俊夫さんは3月のある日、自らの人生に幕を閉じてしまったのだ。

「まだ寒い時期だったので、私が仕事に出るとき、夫は布団かコタツの中にいることが多かったんです。でも、その日に限って玄関まで送りに出てきてくれて“ありがとう”って言われました。“いってらっしゃい”じゃなくって。実は、夫はそのころ何度も自殺未遂を繰り返していたので、職場で連絡がとれなくなったときに“もしかして、やっちゃったかな”と思って、急いで帰ったんです。現場の様子を見たときも“とうとうやったな”という気持ちでしたね」

 急いで駆け寄って俊夫さんを救おうとしたものの、

「夫の身体はもう動かないというか、ぐったりしていました。必死に抱き上げたときに、のどからゴボゴボって音がして、一瞬“もしかしたら助かるかも”って思ったんだけれど、やっぱりもう、人形みたいになっていて……。本当に、かわいそうでした。それで私、慌てて警察に電話してしまって。“財務局に殺された”っていう意識がすごくあったので、つい119番じゃなくて110番にかけてしまったんですよね。一方で“これで楽になれたね”とも思ったんですよ。夫に“もう苦しまなくていいよ”って声をかけたのは覚えています。その当時、2人とも誰に助けを求めていいかわからないまま、本当に苦しい日々でしたから」

 しかし、雅子さんはそれからも、楽になれなかった。

夫が亡くなった翌日に財務局の方たちが家に来て“手記はあるのか? あるとしてもマスコミには出さないほうがいい”と言ってきたんです。何かを隠そうとしているようで怖かった。その後、かなりの数の報道陣に追いかけられて、実家に帰っていたときにも何十人もの人に家を包囲されたので、マスコミにも拒否反応がありました。夫の手記があることが噂になっていたので、私の同級生をしらみつぶしに取材しているのが耳に入ってきて嫌でしたし、家族や親戚も困らせてしまうと思ったので、なかなか手記を出すことができませんでした」

 また、「夫の元職場に迷惑をかけたくない」という思いもあった。だが、夫の同僚たちの態度に、だんだんと不信感を覚え始める。

夫が信頼していた上司の方が、お葬式にいらしても記帳をしてくれなかったことがありました。来たことを隠したかったみたいで。あとで本人に理由を聞いたら大きな声で“(記帳を)してますよ!”って怒鳴られました。それと、麻生(太郎)さんが野党からつつかれたようで、“お墓参りに行こうと思うんだけど”という打診をしてくれて、私と財務局の間に入っていた夫の同期の方に“絶対に来てください”とお願いしたんです。けれど、次の日に連絡があって“マスコミが殺到して、あなたが大変なことになるから断っておきました”と。私はとにかく夫に謝ってほしい、という気持ちが大きかったのに、自分の意思をねじ曲げられたことがすごくショックでした

 ひどい仕打ちはこれ以外にもあったという。

まだ夫の検死も終わらないうちにやって来た財務局の方が、私に対して“うちで働きませんか”と言ってきたんです。もう本当にびっくりして“バカにするなよ”って思いました。大企業もよくやるらしいんですけど、自分のところに囲い込めばよけいなことは言わないだろう、という狙いがあったんじゃないかと思います。私は“財務局に佐川さんはいないですけど、佐川さんの秘書にしてくれるんでしたらいいですよ。お茶に毒、盛りますから”って言い返してやりました。向こうはだんまりでしたけどね