社長就任を後押しした息子の言葉
「インターネットを使って出前の注文を取るというアイデア自体は素晴らしいし、先見性や発展性を感じました。ただ、社内のゴタゴタや懸念材料は確かに多かったし、周囲もネガティブな意見でした。わが家は家計を完全折半にしていたので、収入が減れば、自分の貯金を取り崩すことも考える必要があった。
正直、人生で初めて3日ほど悩みました。そんなとき、小学校高学年だった息子が“どうせお母さん、やるんでしょ?”と、ふと言ったんです。その言葉を聞いて決断しましたね」
経営参画した中村さんが最初に取り組んだのが、大阪ガスのベンチャー支援金を確保すること。多種多様な企画書や提案書を作成し、猛然とアピールしたところ、4000万円を引き出すことに成功。これで会社は窮地から救われた。その手腕を目の当たりにした従来の幹部たちも納得。花蜜氏からも「社長になってほしい」と請われ、翌'02年1月には会社のトップに就任することになった。
新社長となった中村さんが掲げた目標は、「2年で黒字化」。ただ、当時はまだインターネット環境が整備されていない時代。「ネットで注文」のハードルは高かった。飲食店側にしても調理で油や水を使うことからパソコン操作が難しく、受けた注文をFAXで送るという手作業が求められていた。
この実情を踏まえ、ネット注文の利便性を一般に知らしめる活動に着手する。飲食店側にも「チラシで販促するよりネットを使ったほうがコストも下がるし、先々を考えるとプラスですよ」と、説明して回った。
前出・山本さんは当時、「夢の街」の社員として総務業務を担っていた。
「ホントに分刻みのスケジュール。この飛行機には絶対に乗れないと思うような時間に“予約を入れて”と言われるので、困りました(苦笑)」
その傍ら、中村さんは母親業も手を抜かず、朝5時に起きて朝食とお弁当を作り、20時までには帰って家族と夕食をともにしていた。
「息子とはよく話をしました。グレることなくまっすぐ育ってくれたので、親としては助かりました」
と、中村さんは微笑(ほほえ)む。こうして公私ともに積み重ねた小さな努力が、徐々に実を結び始める。当初計画より1年遅れの3年で黒字化を達成。
'06年8月には大阪証券取引所ヘラクレス(現ジャスダック)に株式上場し同年、雑誌『日経WOMAN』選定の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれる。女性経営者として確固たる成功を収めたのだ。
凡人なら、成功を味わうとそこである程度は満足するものだが、彼女の意欲が尽きることはなかった。
'09年にはTSUTAYAの運営会社であるカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下、CCC)との業務提携やTポイントサービスの導入など、新たな一歩に踏み出す。そして同年12月、CCCの人材最高責任者に就任。3年間、新たな環境をカリスマ経営者の間近で見て学ぶ機会を得た。
「会社は大きくなると組織が腐る。リストラを含む改革をしてくれ」
これがCCC創業者・増田宗昭社長のオファーだった。