今年、芸能生活40周年を迎え、テレビ出演も盛んな松田聖子(58)。その流れで、さまざまな人が自分の聖子評を披露している。
天才的なアイドル・松田聖子
例えば、彼女がこれまで理論的なことは意識せずに歌ってきたということについて、古田新太は「長嶋茂雄を感じた」と言った。また、新曲『風に向かう一輪の花』で聖子の詞にメロディーをつけた財津和夫は「風に揺れる、じゃないですもんね。風に向かう、ですから」と、その言葉選びに彼女の生き方があらわれていることを指摘する。
たしかに、彼女は一種の天才で、どんな修羅場にも立ち向かえる強さを持つ。それを世に知らしめたのが、あの破局会見だ。
1985年1月、彼女は結婚間近といわれた郷ひろみとの破局を発表した。『週刊文春』のインタビューで、別離をにおわせていることがわかり、報道陣が殺到したからだ。その日、彼女は主演映画『カリブ・愛のシンフォニー』の国内初撮影に臨む予定だったが、午前の撮影が中止され、急きょ会見が行われた。
そこで彼女は“家庭と仕事““家と家“といった問題に触れつつ、郷との話し合いにより“別れても友達“的な結論に達したと涙ながらに説明。そして、最後に、
「もし今度、生まれ変わってきたときには絶対に一緒になろうね」
と、嗚咽しながら語ったのである。
この会見は多くの人を驚かせたが、実は郷にとっても寝耳に水だった。レコード会社のプロデューサーとして、ジャニー喜多川とともに彼を育てた酒井政利はこんな証言をしている。
「ところが郷は、その模様をビックリしながらテレビで見ていたのです。そんなことを話し合ったこともないし、別れたつもりもない」
つまり、聖子は独断で破局を決め、会見を開いたわけだ。そして5か月後、前出・映画の共演相手でもある神田正輝と結婚。前年11月には一緒に海外ロケもしていたことから、彼女が乗り換えたような印象を持たれた。
ただ、郷のことを嫌いになったわけではない。「生まれ変わって」発言も、彼女の未練と申し訳なさ、そして一種の興奮状態から生まれたのだろう。実際、会見後もスタッフの前で1時間近く、大泣きしたという。
それゆえ、午後の撮影も中止になるかと思われたが、彼女は会見と、その後の大泣きで吹っ切れたようで、何事もなかったように撮影をこなした。この切り替えの早さが、どんなスキャンダルにも負けないゆえんだ。
一方、すぐには切り替えられなかったのが郷である。それを心配して、以前から仲のよかった樹木希林が助け船を出した。雑誌での対談をセッティングして、そこに『コケにされた男の正しいコケ方』というタイトルをつけたのだ。いわば、いじってやることで前に進ませようとしたわけだ。
とはいえ、郷は樹木にさえも心を開かず、対談は難航したらしい。
「もう人を信じられなくなったという感じで、よそよそしい」態度だったと、樹木はのちに回想している。
ただ、郷の立場を思えば、それも当然だろう。聖子はデビュー前、すでにスターだった自分に憧れていた少女。そんな相手に思いを寄せられ、結婚するつもりでいたら、なんの相談もなく、日本中に破局を告げられたのだ。おまけに、来世のことまで勝手に決められては、たまったものではない──。