そしてもうひとり、母経由で受け継いだ才能がある。さだまさしだ。良子はさだが若いころに作った『掌』が好きで、直太朗にもよく歌って聴かせたという(のちに、良子も直太朗もこれをカバーしている)。
また、さだは『精霊流し』『防人の詩』『償い』など死をテーマにした作品に定評があるほか、難病の青年を描いた小説『解夏』は『愛し君へ』(フジテレビ系)というタイトルでドラマ化された。これは主題歌『生きとし生ける物へ』をはじめ、直太朗作品が随所に使われたドラマでもある。
森山が示す「生」の概念
そんな先人たちの影響を受けた彼は、2008年に『生きてることが辛いなら』を世に問うた。「いっそ小さく死ねばいい」というフレーズが物議をかもしたが、終盤には「くたばる喜びとっておけ」というメッセージが置かれている。そこには、死を意識し直視しながら、それを生への意志とエネルギーに変えていこうとする姿勢が見てとれた。
『エール』もまた、物語的にそういう転回点にさしかかっている。主人公は自らの音楽が日本人の士気を煽り、死へとかきたてる結果になったのではと落ち込むが、やがて生への希望の音楽を書こうとすることで自らを甦らせていくのである。
そもそも、森山の出世作『さくら(独唱)』自体、死と再生という意味合いが秘められていた。彼は咲いては散り、散っては咲く桜に、別れと旅立ち、再会への祈りを重ねたのだ。
なお、これ以前のJ-POPや歌謡曲に桜ソングは意外と多くない。昭和歌謡を代表する作詞家・阿久悠などは、桜に軍国日本の「負」のイメージを感じるとして、あえて避けていたほどだ。森山は桜に新たな希望を吹き込み、「正」のイメージを再生させたともいえる。
そんな出世作から17年、森山は『最悪の春』という曲を発表した(配信限定)。コロナ禍で迎えた今年の春への屈折した思いを赤裸々に歌ったものだ。8月に情報番組『あさイチ』(NHK総合)で披露すると、MCの博多大吉はこんな感想を漏らした。
「ネガティブも口に出すと、なんかポジティブに通じる、みたいな、ね」
そのあたりはまさに、森山の表現者としての真骨頂だろう。その特性は『エール』でも発揮された。朝ドラとしては異例なほど、戦争の凄惨さに踏み込む描き方がされたなか、彼はそこにどこか清冽(せいれつ)な空気と、希望の予感をも付け加えたのだ。
ネガティブをポジティブに。それは人生の極意でもあり、戦争やコロナ禍からも、そうやって立ち直っていくしかない。ただし、藤堂ロスからはなかなか立ち直れないという『エール』ファンも多そうだが――。