川原さんが田原俊彦のエピソードを紹介してくれた。
「トシちゃんが低迷していた1988年、メリーさんが“どうしても挽回したい”と京平さんに“神頼み”をして、イギリス人歌手トム・ジョーンズの『ラブ・ミー・トゥナイト』みたいな大人の曲を作ってほしいとリクエストしました。トシちゃんをアダルトな雰囲気に変えたかったんでしょう。京平さんは見事、期待に応えて『抱きしめてTONIGHT』を作り、トシちゃんの人気がそれで復活した。メリーさんはとても喜んでいました」
そんなジャニーズの間でも、筒美さんの取り合いはすさまじかった。『ジャニーズ・エンタテインメント』の代表取締役も務めていた小杉理宇造さんが裏話を披露する。
「1981年の新人賞はマッチがとることは間違いなかったんですが、当時のライバルは前年に新人賞だった田原俊彦。受賞曲『ハッとして!Good』以上の曲が欲しかった。実は、マッチにすでに曲が決まっていたんですが、それでは勝てそうにないということで、私が『ギンギラギンにさりげなく』というタイトルだけを考えておき、海外から帰国した筒美先生を成田空港まで迎えに行ったんです。
私の姿を見た筒美先生はビックリして“あなた何があったの? 目的があるんでしょ?”と言われて、用件を伝えると“よかった、事件じゃなくて”と笑いながら“わかった、書き直せばいいのね”と。それで曲ができたら、メリーさんから“これは100万枚売れる”とお墨つきをもらいました」
中森明菜のライブに大興奮
前出の川原さんが当時プロデュースしていた中森明菜のコンサートに突然、筒美さんが“行きたい”と言い出したこともあった。
「明菜のステージが終わったら、あんな“絶望”や“退廃”みたいな重いテーマを歌えるポピュラー歌手は初めて見た! と、京平さんにしては珍しく興奮ぎみでした。こんな曲は美輪明宏さんのようなシャンソン歌手しか歌えないと思っていたと、しきりに感心していましたね」
しかし、筒美さんは明菜にも松田聖子にも曲を提供していない。その理由を川原さんが説明する。
「キャンディーズ、ピンク・レディー、おニャン子クラブも同じく。やるからには最初から自分で育てたい気持ちと、人の“陣地”を邪魔しちゃいけないという、京平さんなりの美学があったんです。あくまでもデビューから、キッチリ育てていくのが筒美流」
誰も注目しない逸材を発見する才が卓越していたと繰り返すのは、前出の恒川さん。
「今井美樹さんがまだブレイクする前、彼女は歌では成功しないだろうって、私が仕事の依頼を断ったんです。それを京平さんに伝えたら“バカだねアンタ、あれはすごくいいよ”って怒られました」