「マムちゃん」の愛称でおなじみ! 全国の中高年のアイドル・毒蝮三太夫(84)が、戦前から復興期にかけて昭和をたくましく生きた両親との思い出を綴った本を出版。一風変わったユニークな親のもとで愛情を受けて育った毒蝮だからこそ知る、長い人生の楽しい過ごし方とは──。
本になるなんて思ってもみなかった
初対面の年寄りを「ジジイ」「ババア」と呼び、呼ばれたほうはえびす顔。愛のこもった毒舌で人気の俳優・毒蝮三太夫が、このほど『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語』(学研プラス刊)を上梓した。
本作は稀有なタレントの半生記であると同時に色濃いファミリーヒストリーであり、庶民の暮らしを詳細に描いた昭和史にもなっている。
「こっちはおふくろやおやじの話が本になるなんて思ってもみなかったけど、担当編集者が面白いですというもんだからさ。そもそも俺の本なんて書店に5冊置いてあったら2冊は返本されるんだから」
謙遜する毒蝮だが、この本、とにかくご両親のキャラが強烈かつ自由で面白い。
母は父より4歳年上の姉さん女房。関東大震災後、職を求めて大阪に出ていた2人はかの地で出会い、結婚。毒蝮が生まれ、一家はすぐに上京し東京府荏原区、今でいう東京都品川区の同潤会アパートで暮らしていた。
「同潤会というと、表参道のおしゃれな建物のイメージがあるからか、『いいところに住んでいたんですね』なんて言われるんだけど冗談じゃない。当時、同潤会アパートってのは、深川やなんやらにもいくつかあってね。表参道のは水洗トイレだけど、こっちは木造長屋に汲み取りトイレ」
毒蝮が荏原にいたのは9歳まで。そこから5年間は浅草の竜泉寺に住み、下町気質を身につけたという。話の最中、家の間取りや周辺環境、固有名詞がポンポン飛び出す記憶力のよさには驚いた。
「本を書いてるうちに、ここに誰それの家があって、ここに肥桶が並べてあってって、どんどん思い出していくから地図を描いてみたわけ。地図を描くというのは頭を使う作業でね。右前なのか、左後ろなのか位置関係まで思い出さなきゃいけないからさ。
もし、あなた方にじいさん、ばあさんがいるなら、昔話をしながら、『ここに地図を描いてみてくれない?』って言うといいよ。認知症の予防になるからね」