楽天家の夫と築いた「居場所」
かつて中学時代、クラスメートと、「神様が願い事をかなえてくれるなら、何を頼む?」という他愛のない話をしたとき、迷いなく答えたという。
「心から安心できる場所が欲しい」と。
ようやくその場所を手に入れたのは、27歳のとき。同い年の歯科医師の男性と結婚してからだ。
「出会いは友人の紹介でした。当時、研修医として寝る間も惜しんで働いていたので、本当は誰かと会う時間があったら、部屋で寝ていたかったんですけどね」
とはいえ、年ごろの女性らしく、当日は気合を入れて向かったよう。
夫の大多和昌彦さん(56)がなつかしく振り返る。
「当時はバブルだったので、家内はオレンジ色のボディコン姿で来ました。疲れを隠すためなのか、バリバリにメイクもして(笑)。友人から、医者と聞いていたので地味な人かと思ったら、ずいぶん派手な人が来たなって」
互いに激務のため、デートもままならなかったが、3年後に結婚。決め手を問うと、昌彦さんは「うーん」と、しばし考え、口を開く。
「お互いに親の跡を継ぐっていう立場だから、環境が似ていたのかな。自然に話ができました。あとは家内に聞いてください。なんで僕を選んだのか。ふつう女医さんは、医者を選ぶもんですからね」
おおたわさんは、「私と真逆の人だから」と笑う。
「私はああいう環境で育ってきたので、ネガティブで、愚痴や不満が多い人間なんです。幸せを感じるのが下手っていうか。いつも不機嫌に暮らしてた。夫は真逆。仕事が私以上に忙しくても、愚痴ひとつ言わない。これ、我慢しているわけじゃないの。根っからの楽天家っていうか、チャラいっていうか(笑)」
陽気な夫は、母親と妻のパイプ役にもなっていたという。昌彦さんが話す。
「家の行事なんかで計画を立てるときも、家内とお義母(かあ)さんは直接話したがらないので、僕が間に入りました。2人はいろいろあったんだろうけど、深くは詮索しませんでした。家内が依存症のことで悩んでいても、何か言ってこない限りは見て見ぬふりです。専門家でもない僕が、いいアドバイスをできるわけでもないし、なんとかなるさ、と軽く言うくらいでしたね」
依存症の母という、重しを抱えているおおたわさんにとって、深刻さと無縁の夫は、何よりの救いだったという。
「たぶん一緒に考えてくれる人だと、重さに耐えきれなくて逃げ出しちゃうと思うんです。でも夫は、あの性格なので、深刻にならずに横にいてくれた。ひとつも無理せず、結果として私を支えてくれていたんです」
結婚して30年近く、いろいろあったが、「『離婚』という選択肢は、私の中にない」と断言する。
「ひとりで生きていくのが怖くて、誰かと一緒に生きていきたかったんです。私にとってはそれが結婚で、たかだか女遊びの1回や2回と引き換えに手放せるものではないんです。携帯電話を真っ二つに折るくらいはしましたけどね。逆に、簡単に離婚できる人がうらやましいですよ」