遊川ヒロインの基本スタイル
そんな遊川のドラマ脚本家としてのオリジナリティが、本格的に開花したのは2005年の『女王の教室』(日本テレビ系)だ。
本作は小学校を舞台にしたダークなトーンの学園ドラマで、謎の教師・阿久津真矢(天海祐希)が「いい加減、覚醒めなさい」と言って小学生たちに厳しい現実を突きつけていく。そんな真矢に立ち向かうことで子どもたちが逆に学び成長していく姿が、逆に感動的に見えてくる本作は、屈折した学園ドラマとして大ヒットした。
ロボットのように感情を表に出さずにクールな喋り方をすることで、個性を際立たせる遊川ヒロインの基本スタイルが始まるのも本作からで、同じ手法で遊川は『曲げられない女』(同)や『家政婦のミタ』(同)といったヒット作を生み出していく。
ロボットのような謎の女が、物語をかき乱していくというキャラクタードラマの手法は中園ミホ脚本の『ハケンの品格』(日本テレビ系)や大石静脚本の『家売るオンナ』(同)といった作品にも波及しており、今や日本のテレビドラマの基本スタイルとして完全に定着している。
また、『女王の教室』以降、遊川のドラマはショッキングな描写で視聴者の関心をひきつける露悪性が極まっていく。序盤で主人公をどん底に突き通して、中盤以降は、どん底から這い上がる人々の復活劇を描くことでカタルシスを与える。緩急の激しいジェットコースターに乗っているようなドライブ感こそ遊川の脚本の巧みさで、そのストーリー展開と、ヒロインのキャッチーなビジュアルが見事にハマったのが最終話の平均視聴率が40.0%(ビデオリサーチ社、関東地区)を獲得した『家政婦のミタ』だった。
ただ、この露悪的なストーリー展開は、視聴者はもちろんのこと、作者自身にも負荷が強く、うまく転がれば『女王の教室』や『家政婦のミタ』のような大ヒット作となるが、作家の「強い個性」が暴走すると作品がコントロールできなくなり、ストーリーとキャラクターがボロボロに崩壊するバッドエンドとなってしまうように筆者は思う。
たとえば、連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『純と愛』(NHK)は、遊川の“毒”とも言える強い個性が出てしてしまったように思う。本作は、筆者も含めた遊川ドラマのファンにとっては、ダークな刑事ドラマ『リミット-刑事の現場2-』(NHK)と並ぶ遊川の最高傑作だが、朝ドラを楽しみにしている一般視聴者にとっては受け入れ難い辛辣な内容に、放送終了時は「朝ドラにしては挑戦的」「トラウマになる」などの声もあった。
この露悪的な部分が自家中毒となってドラマそのものを壊してしまう流れは、2015年に東山紀之と柴咲コウが主演を務めた『〇〇妻』(日本テレビ系)でも反復された。この時期の遊川作品は、常に危うい雰囲気が漂っていたように感じる。
その後、世の中の流れに合わせたのか、遊川の作る露悪的な印象は少しずつ後退しており、高畑充希が主演を務めた『過保護のカホコ』(同)や『同期のサクラ』(同)といった近作では、だいぶ前向きで健全なムードに変わっている。
同時に、遊川が執拗に描いてきた家族に対するこだわりもじわじわと弱まっており、むしろ近作では会社をテーマにした群像劇が増えていた。