戦後の荒廃した街に潤いを与えたい
元祖癒し系キャラ、ペコちゃんに勇気づけられた人は多い。そんな唯一無二の存在に成長した背景には、「2つとない」を意味する「不二」を社名にあてた株式会社不二家が、戦後、ペコちゃんを通して届けたかった「思い」が受け継がれている。
同社は明治43年、横浜市発祥の洋菓子店。創業の年の12月には、日本で先駆けてクリスマスケーキを販売し、パラソルチョコレート、カントリーマアムなど長く愛される商品を多数生み出してきた。
そんな華々しい歴史の裏には、時代に翻弄された影も感じとれる。関東大震災では3店舗すべてが全焼、第二次世界大戦では多くの店舗に加え、生産工場にも痛手を負った。
終戦後、再建に向けてスタートを切った同社は、ある商品の試作に打ち込んだ。のちの大ヒット商品、ミルキーである。そのパッケージには大きなペコちゃんが溌溂と描かれた。
「戦後の荒廃した街に潤いを与えたい」
同社の願いが込められたペコちゃんは1950年、人々に元気と笑顔を届ける女の子として、店頭デビュー。瞬く間に人気に火がついた。
「当初は紙の張り子で作っていたのですが、子どもたちが親しみを持って触ったり頭を叩いたりしてくれて、張り替えの修理を重ねるうちに顔が変わってしまうこともあったようです。
今は丈夫な素材になりましたが、首が揺れる仕様はずっと変わらないんですよ」(前出・土橋さん)
幼い子がペコちゃんの頭をポンポンと触る“あいさつ”。それに首をグラグラ揺らして応える微笑ましい光景には、今でもよく出くわす。戦後の街並みならば、その光景がどれほど癒しになっただろう。
その活躍ぶりは店頭にとどまらない。交通安全キャンペーンに参加したり、親善大使として海外に出向くことも。
そして、なんと南極観測隊と一緒に昭和基地までお供し、隊員たちが「ペコちゃんの頭をポンとなで、ひと息ついていた」という記録も残っているという。