“見えない病気”が怖い
「遺伝的な情報」だけは知りたい
もうひとつ、沙世さんが最も心配するのは、ドナーが遺伝性の病気をもっていないか、という点です。
「私が一番こわいのは、見えない病気です。ドナーになるなら遺伝子の検査はしっかり受けて、そのうえで初めてドナーに登録してほしい、というのはあります。その遺伝性の病気を知らないうちに、私も子どもにわたしてしまっているかもだし。
精子提供をした後で、遺伝上の病気があるとわかるときもありますよね。そういう場合も、もしドナーバンクみたいなものがあったらそこに連絡がいくようにして、私や子どもにわかるようにしてもらわないと、ある意味不安で仕方ないです。
いまはそういう仕組みがないので私に連絡は来ないですよね。そこは、ほんと不安は感じます。だからドナーの遺伝的な情報は残しておいてもらって、子どもが見られるようにしてほしいし、AIDで生まれたことを子どもは絶対に知らされるべきだと思います」
なお、沙世さんはドナーに会いたいという気持ちはあまりなく(ドナーやその家族への遠慮もあるようでした)、見た目や性格にも強い関心はないといいます。このあたりは人によるのでしょう。
筆者はこれまで、AIDで生まれた人のほか、特別養子縁組、産院での取り違えなどで血縁上の親を知らない人を複数取材してきましたが、「絶対に血縁の親に会いたい」という人もいれば、「職業だけは知りたい」という人もいたり、関心の度合いや方向性には個人差があるようでした。
沙世さんは、とにかく「遺伝的な情報」を知りたいというのですが、これはおそらく、多くの当事者が共有する思いでしょう。
「どうしても子どもがほしい、産みたい、という人はいると思うので、AIDという選択肢を残しておくことは必要というか……。止めたところで、やる人は海外に行ってもやるでしょう。それならしっかり制度化して国内でやればいいんじゃないかな、と思います。その代わり、子どもがドナーの情報を知りたいというときに、納得できる落としどころを作っておいてほしいなとは思いますね。
やっぱり、そこ(ドナー情報の保管や、子どもがその情報にアクセスできる仕組みの整備)はしっかりやってもらった状態じゃないと、困るんじゃないですか。でないと、親が子どもをほしくてやったことのツケを、子どもが払うわけじゃないですか。それは一番ダメだと思うので。それだけは絶対はずさないでほしいです」
なお、筆者が沙世さんの話を聞いて印象に残ったのは、彼女が途中何度か口にした「漠然とした不安」という言葉でした。
「私の半分って、何でできていたんだろう、という漠然とした不安というか。片足立ちをしている、みたいな。着地点が欲しいのかもしれないです」
彼女が抱く「漠然とした不安」は、ドナーの遺伝情報を知るだけで解消するのでしょうか? 不安を解消するには、何が必要なのか? 沙世さんにも、筆者にも、疑問が残っています。
大塚玲子(おおつか・れいこ)
「いろんな家族の形」や「PTA」などの保護者組織を多く取材・執筆。出版社、編集プロダクションを経て、現在はノンフィクションライターとして活動。そのほか、講演、TV・ラジオ等メディア出演も。多様な家族の形を見つめる著書『ルポ 定形外家族 わたしの家は「ふつう」じゃない』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(ともに太郎次郎社エディタス)など多数出版。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。