11月18日、“映画界のドン”と呼ばれた映画プロデューサーであり、東映会長の岡田裕介さんが亡くなった。心臓近くの血管が裂けてしまう“急性大動脈解離”による突然の死だった。

「プロデューサーになる前は役者をやっていた根っからの映画人。亡くなった日も、来年の映画の打ち合わせをしていたそうですから。気さくで偉ぶったところがない。誰からも慕われた人でした」(芸能レポーター・石川敏男氏)

 岡田さんの訃報に、驚きと悲しみの声が相次いだ。

《言葉にならない。『北の零年』では私を大抜擢してくださり、思いっきり冒険させて頂きました》

 自身のSNS上に、そう綴った映画監督の行定勲氏。2005年に公開された映画『北の零年』は、岡田さんが20年以上も構想を温め続けていた大作だった。そのメガホンを、若手のホープとはいえ、駆け出しだった行定氏に「任せたい」と言い出したのは誰あろう、同作で主演を務めた吉永小百合だった。吉永と岡田さんは“女優とプロデューサー”として40年もの間、タッグを組んできた、いわば盟友。

“男女の仲”も疑われた

「亡くなる直前まで打ち合わせしていたという映画『いのちの停車場』も、もちろん吉永さん主演。吉永さんは岡田さんに全幅の信頼を置いていましたが、それは岡田さんが吉永さんの“お願い”を完璧に実現してきたから。彼女は作品に出演する際、リクエストを出すことで有名で」(映画製作会社関係者)

 脚本や演出はもちろん、共演者や音楽にもこだわる。

「2014年公開の東映作品『ふしぎな岬の物語』のテーマ音楽も、彼女の希望で大ファンだというクラシックギタリストの村治佳織さんが担当しましたし。『北の零年』も当初は“10億円まで”という製作予算が組まれていて。一般的な邦画の製作予算は1億~2億円くらいですから、これでも超大型予算なんですが、吉永さんが推した行定監督の撮影方法や演出がネックになって5億円も足が出ちゃった。

 それでも岡田さんは許したんですから。あれは岡田さんじゃなかったら作れなかった。吉永さんへの愛です」(同・映画製作会社関係者)

 ふたりの距離感の近さに「男女の仲では」と勘繰る向きも。実際に、写真誌にツーショットを撮られたこともあった。

 そんな最大の理解者であり支援者を失った吉永の心中は、察するに余りある。

「その『北の零年』で吉永さんは『日本アカデミー賞』の最優秀主演女優賞をとって、映画も大ヒット。でも、それ以降、特に最近の吉永さんの主演作は、正直パッとしてないですからねぇ。吉永さん、毎年のように映画に出続けているけれど、岡田さんがいなくなった今、作品的にも興行的にも、あれを超えるものは、もう作れないかも……」(前出・映画製作会社関係者)

 岡田さんの葬儀には軽井沢から駆けつけた吉永の姿が。立っているのもやっとという憔悴ぶりだったそう。