生活苦からの心中
智子(仮名・30代)は、生活苦から生後6か月になるわが子を殺害し、自ら命を絶とうとしたが一命を取り留め、殺人罪で刑に服している。
「夫は一度も子どもに触れたことはありませんでした。もし、この子を残していったら虐待されるに違いないと、手をかけてしまったんです」
智子はかつて、経済力のあるキャリアウーマンだった。借金がかさみ、心中しなければならないほど追い詰められたのは結婚が原因である。婚活パーティーで知り合い結婚した夫はジャーナリストとは名ばかりのほとんど収入のない男性だった。ふたりは智子が所有するマンションで暮らし、家計はすべて智子の稼ぎで支えていた。夫は見栄っ張りで、高級車やゴルフの趣味に浪費をしていた。
智子は、子どもができれば夫も変わると期待をしたが、子どもが生まれてからがまさに「生き地獄」だった。自宅で仕事をしている夫は、子どもの泣き声がうるさいと怒鳴り、暴力を振るようになった。智子はうつ病になり、仕事を続けることもできなくなった。夫はこれまでと同じように贅沢(ぜいたく)な生活を続けている。智子はいつの間にか、死ぬことしか考えられなくなっていった。
「親には心配かけたくないと思い、相談できませんでした。友達にも恥ずかしくて言えませんでした。幸せなふりを続けてしまったんです」
いつの間にか、食料も手持ちの現金も底をついてしまった。夫は出張に出かけると行ったきり戻ってこない。
「ごめんね……」
智子はついに、お腹がすいて泣き出したわが子の首を絞め殺害した。その後、自ら手首を切って自殺を図った智子は、訪ねてきた姉に発見された。逮捕後すぐに、智子は夫から郵送されてきた離婚届を受け取りサインした。夫は一度たりとも面会に来ることはなかったという。
家族を殺す前に「逃げて」
海外に比べ、殺人事件は非常に少ない日本だが、殺人事件に占める家族間殺人・心中事件の割合の高さは、家庭が必ずしも安心できる場所にはなっていないことを示している。
その背景には、犯罪のみならず、家族が他人に迷惑をかけた場合、家族が連帯責任を負うべきだという根強い思想が家族を追いつめているからだと考えている。
家族の問題は最後まで家族で責任を持つべきだと考えるならば、第三者に頼ることは許されず、社会で問題を共有するという発想には至らない。事件の背景を辿っていくと、重大事件に至る家族ほど事件が起きる直前は、他人に頼る力さえ尽きている。
問題が小さい段階で家族以外の適切な相談者を見つけておくことで、命が失われるリスクを減らすことはできるはずである。
殺人は最も重い犯罪であり、事件が起きた背景を理解することは重要だが安易に正当化されてはならない。たとえ問題の解決が見えなかったとしても、家族を殺す前に逃げて欲しい。
そして逃げられた家族を周囲がどのように支えていくかが社会の課題であり、「無責任」といってただ責め続けるだけならば、同様の事件を防ぐことはできない。
阿部恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)など。