理想とかけ離れた4年遅れの大学生
19歳で不登校を解消しようと高校に進学したが、卒業までに3年かかる。早く大学に行きたかったので中退して、まずは大検に合格した。どんなに遅れても大学に入ろうと決意し、そこから猛勉強が始まった。
「ぎりぎり10代で目標を見つけてひきこもりから脱し、毎日、図書館に通いつめて6時間くらい勉強しました。体力もつけないといけないから自転車で2時間くらい走り回って。遅れはしましたが22歳でようやく大学に合格したんです。4年も遅れたからにはいい大学に行かなければと思いましたが、合格したのは理想よりずっと低い偏差値の大学でした」
通い始めてはみたものの、学生たちも教授たちもモチベーションが低いようにしか見えなかった。「年齢的なこともあるし、この大学を出ても就職などできそうにない」と思うと、一気に気力が失われた。通うには遠すぎたことも一因だ。
最終的に、やはり「ここは合わない」という思いが強まる一方だった。合わないと感じるとそれ以上、無理を重ねられないのだろう。
半年で通えなくなり、1年で退学したときは落ち込んだ。
「やっと不登校から脱してあんなにがんばって大学に入ったのに、すべてが水の泡になってしまった。社会的地位を求めることはもうできない。恋をすることもパートナーを見つけることもできないだろう。友達すらできなかった。誰にも認められないまま生きていくしかないのか、と葛藤というより、絶望に近いものを感じました」
精神科に行ってみると「メインの病名は適応障害、サブに広汎性発達障害」と診断された。クラス替えをするたびに人間関係が築きにくかったのも、理想と違う大学で「合わない」と思うと通えなくなるのも、適応障害だったからかもしれない。
人とのつながりで新たな人生が開けた
それでも彼の「学びたい」意欲は強かった。「いい大学へ」というプライドや見栄よりも、「何かを学びたい」気持ちが勝ったのだ。純粋に学ぶことを考え、インターネットですべて学べる文部科学省認可の八洲学園大学に入学、生涯学習学部で教育を中心に人文科学を勉強した。
一方で精神科に通いながら、NPO法人『メンタルコミュニケーションリサーチ(MCR)』という不登校やひきこもりへの支援を行っている団体に自宅訪問をしてもらっていた。そこからだんだんと地域のコミュニティーとつながりを持つようになっていく。
地域若者サポートステーション、通称サポステともつながった。15歳から39歳の若年無業者の自立支援において、実績やノウハウのある団体を厚労省が認定、事業を委託して実施されている。現在、全国におよそ160か所あり、新舛さんも居住地近くのサポステとつながった。
彼はさらにNPO法人『アンガージュマン・よこすか』で、元公立中学の教師である滝田衛氏と知り合う。のちに滝田氏が『子ども若者応援団』を設立したときは、当初から在籍し、応援団の通信における編集長を任された。
「次から次へと人とつながることで、新たな人生が開けたような気がします。特に、子ども若者応援団通信の編集長と言われたときは本当にうれしかった。やっと人に認められたと思いました。本当は慶應大学に行きたかったのに行けなかった、せっかく入った大学も中退してしまったなど、自己評価が下がってばかりだったので承認欲求が非常に高まっていたんだと思います」