専業主婦の言葉に救われて

 そうやってさまざまな団体でさまざまな人とつながっていく中で、彼は自分と同じような不登校の当事者や親たちとも知り合っていく。かつての自分と同じように学校へ行けないことで苦しんでいる子どもたち、そういう子どもを持つことで苦しむ親たちに向けて、自分が何かヒントになるような話ができるのではないか。ひきこもる人たちにも何か伝えることができるのではないか。そう思って講演活動も引き受けるようになった。

「最初は人前でしゃべるなんてと思っていたんですが、小学生時代、朝の学活でみんなの前で歌を歌ったり何かをひとりで話したりするのはけっこう好きだったと思い出しました。それで地域のひきこもり関係の講座で話したりするようになったんです」

 同時に知り合った人に「僕はひきこもりだったんです」「今でもお金を稼げていないんです」と自然に言えるようになった。

「そうしたら、ある専業主婦の人が、“私だって稼いでないわよ”って。それを聞いて気が楽になったんですよね。この地域では多様性を認めてくれる人が多くて、ひきこもっていたと言っても“いろんな人がいていいんじゃない?”という感じ。それでも一緒に市民活動をやっていこうと仲間に入れてくれる。だから僕、今はとても充実しているんです」

引きずり出しただけではダメ

 長い時間はかかったが、彼自身が「価値観」を変えていった。親も周囲もゆっくりとそんな彼を見守っている。彼は関わっている地域の人たちのことを生き生きとした表情で話す。自分の居場所を作り、受け入れられ、徐々に「ひきこもって、一流大学に行けなかったダメな自分」というレッテルを自ら剥がしていけたのだろう。

「僕自身が今、不登校ひきこもりについて話すとき、いつも思うのは引きずり出しただけではダメだということ。周りがきちんとその人を認め、本人が何でも話せる仲間を得る。情報もふんだんに手にする。そこからようやく学校へ行くとか働くとか、活動ができるようになるんだと思います」

 最近、彼はまたひとつ居場所を見つけた。地元の『30’s』という30代の人たちが集う活動だ。夜回りパトロールをしながらのランニングや、街のゴミ拾い、ときには仲間でバーベキューもする。主宰者も新舛さんのような不登校からのひきこもり当事者や、他のマイノリティーに対して、非常にフラットに接してくれるのだそう。

「この活動が楽しいんですよ」

 新舛さんは晴ればれとした笑顔で言った。

 私が彼に会ったのは、彼の地元近くのコミュニティーセンターだ。帰りに駅までバスに乗ろうとバス停で待っていると、同じように待っていた老夫婦に話しかけられた。「昨日はあったかかったのに、今日は寒いですね」と。なんということのない世間話だが、ふわっと心が温まるのを感じた。都心ではたとえバス待ちをしていても、知らない人に話しかけられることはめったにない。東京から遠くない神奈川県なのだが、高い建物などないのんびりした地域なのだ。ここで新舛さんがゆっくりと自らを取り戻し、そして人と切磋琢磨して成長していっていることが腑に落ちる気がした。

(※『週刊女性』2019年8月6日号に掲載、年齢は当時のものです)


かめやまさなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆