山口達也の不祥事のあとは城島が謝りにきて
そんな息子のひとりが母の味を求めて、連絡してきたことがあったという。宝治さんが明かす。
「数年前、突然(国分)太一から連絡がきたことがあったんですよ。“孝子さんの梅干しが食べたいな”って」
震災前、宝治さんの畑には2000本の梅の木があった。孝子さんは丹精込めて木を育て、毎年それで自家製の梅干しを作っていた。
「特別においしい梅でした。それに自家栽培のシソをもみ込んで梅干しをたくさん漬けたものです」(孝子さん)
番組内でTOKIOと一緒にも作った思い出の味。その味を国分は覚えていたのだ。実は震災後、『村民たち』のもとにいち早く駆けつけたのもTOKIOだった。
'11年4月、福島市内で避難生活を送る三瓶さん夫妻を心配し、代表して城島茂が訪ねてきた。
「本当にうれしかったね」
孝子さんはそう言って顔をほころばせる。震災から1か月余りの避難生活や不安な日々を涙ながらに吐露した。すると、城島は黙ってそのことばを受け止めていたという。
「城島さんが持ってきてくれた漬物もおいしかったな」(宝治さん)
それは番組のロケで訪れた愛知県の農家が作った自家製守口大根の漬物だった。出演者と住民の関係を超え、DASH村の人々はひとつの家族のようだった。震災後、直接会う回数は減ったが、その交流は続いている。
一方で、住民を悲しませる出来事がいくつも起きた。
'18年4月に発覚した山口達也の女子高生への強制わいせつ事件だ。スキャンダル直後、城島はメンバーを代表して村関係者のもとを訪れ、山口の事件のことを謝罪した。
実は城島は宝治さんにも直接、謝罪をしていたという。
「みんなに謝った後ですね。私ひとりだったところに城島さんが直接来て“申し訳ありませんでした”と頭を下げていました。彼はやっぱりリーダーだと思いましたね。普段はおとなしいですが、何事にも熱心で万能です」
そして別れも─。父親のようにTOKIOを支え、二人三脚ならぬ6人7脚で村を開墾してきた明雄さんは'14年に白血病で亡くなった。村の看板犬の北登も'17年に息を引き取った。
「北登は避難した後も幸せそうに暮らしていたよ。可愛い犬だったね。いつもこうやって抱っこしてね……」
孝子さんはそう言いながら番組から記念に贈られた北登のぬいぐるみを愛おしそうに優しく抱きしめた。
「ほかにも親を亡くし、家族を亡くし……帰れなかった津島の人たちがいます。原発事故がなければそんなことはなかったのに」(宝治さん)