原発事故がなければDASH村を続けていたはず
津島地区の住民は国と東電に対し、原状回復と損害賠償を求めて裁判を起こし、今年7月判決が出る。
「私たちは国策によって故郷を追われた。戦前は満州(今の中国東北部)への開拓。戦後は原発事故……私たちは2度、国に裏切られた。ふるさとに帰れないまま生涯を終えなければいけないのか……」
悔しい思いを打ち明ける宝治さんはさらに続ける。
「TOKIOだって原発事故がなければDASH村を続けていたはずだ。村で農業をしていれば山口さんも悪いことはせず、バラバラにはならなかったと思う。彼らも原発事故の被害者です」
現在の村の状況を尋ねると、
「番組との土地の契約は続いています。ですが、そろそろ、今後のことも話し合わなければいけない」(宝治さん)
三瓶さん夫妻らは一時立ち入りが緩和されると村を訪れ草刈りをし、壊れたところを修復してきた。いつ彼らが帰ってきてもいいように管理を続けている。だが、年月とともに建物の老朽化も進んでいるのも現実だ。さらに、
「心ない人が敷地に侵入し、荒らしたり、焚き火をしたり。廃車まで残していきました……」(同・前)
村民の帰りを待ちわびるDASH村。実は宝治さんには考えていることがある。
「DASH村を地域の復興の拠点にしたい。TOKIOのみなさんが本気で福島の復興を考えてくれているのなら、あの土地を無償で譲ってもいいと私は思っているんだ」
宝治さんを支えたのは彼らからの福島復興メッセージだった。そのひとつ、'15年に松岡昌宏が福島県を応援するCM発表会でこう語っていた。
《僕らTOKIOは福島のみなさんと一緒に頑張っていきたいと思っています》
その固い決意はつらい避難生活の中で見えた光だった。
「村が復興のシンボルとなり、地域の農業や農家の暮らしなどを次の世代へとつなげる場所になればいいと思っているんです」
津島の暮らしをいちばん近くで学んできた彼らは適任だ。
「目指すは『北の国から』(フジテレビ系)のロケ地として盛り上がった北海道の富良野かな」と宝治さんは笑う。
「DASH村があるから浪江町に来た。そんな場所になってほしいと思ってるんです。次の代へとかわっても津島地区の復興を私たちは願っています」孝子さんも語る。
「TOKIOのみなさんとの時間も思い出もみんなかけがえのない財産です。今もDASH村のことを夢で見ますよ」
今年3月末、長瀬智也はジャニーズ事務所を退所、TOKIOは『株式会社TOKIO』に変わる予定だ。
彼らがもう1度、村に帰って来るその日を待ち望みながら、村民たちはDASH村をこれからも守り続ける。