「誤解」からスタイリストへ

『時効警察』では警察官のスーツを考案した西さん。色みに差をつけて課の雰囲気の違いを演出したという。「麻生久美子さんは花形の交通課なので、パキッとした明るいブルーの制服に。オダギリジョーさんたちが着る時効管理課は濃いめの色にしました」 撮影/伊藤和幸
『時効警察』では警察官のスーツを考案した西さん。色みに差をつけて課の雰囲気の違いを演出したという。「麻生久美子さんは花形の交通課なので、パキッとした明るいブルーの制服に。オダギリジョーさんたちが着る時効管理課は濃いめの色にしました」 撮影/伊藤和幸
【写真】チャリティーカジノパーティーでの西さん、さすがのスタイリング

 実は、西さんのスタイリスト人生は「誤解」から始まっている。

 東京の北区・赤羽で生まれ育ち、都立高校を卒業後、デザイン専門学校でグラフィックデザインを学んだ。

 卒業後は、チラシやポスターを作るデザイン事務所に就職したのだが……。

「さあ、デザインの仕事ができるぞ、と入社したのに、来る日も来る日も細かい稲穂やお米のイラストを描かされました。農業関係の仕事を請け負う事務所だったんですね」

 就職して1年後、イラストを得意先に届けた帰り道─。ふと立ち寄った公園には桜が満開だった。

「毎日、コツコツと稲穂の絵を描いている人生はありえない! って、そのとき思って退社を決意しましたね」

 同じころ、西さんは愛読していた雑誌『anan』で「スチリストになりましょう!」という記事を見つける。当時、まだスタイリストという言葉が一般的ではなく、フランス語読みのスチリストとして紹介されていた。

「記事を読んで『あ!』と思いましたね。もともとファッションは大好きだったけど、ファッション関係の仕事といえば“縫う”か“デザインする”の2つしかないと思っていました。自分にはどちらも向いてないと。ところが、記事によれば、スタイリストという“服を選ぶ”仕事がある。『この仕事をやるしかない!』と思って、ほどなくして私は辞表を出しました」

 勢いで辞めたものの、どうやってスタイリストになればいいか見当もつかない。

 西さんは、少しでもファッションの世界に近づこうと、モデルクラブのマネージャーの仕事に就き、業界関係者の人脈を広げていった。

 ある日、たまたま知り合いのカメラマンのホームパーティーでファッション誌『ミセス』などのスタイリストとして活躍していた染川典子さんに出会う。超売れっ子の染川さんは西さんのことをプロのスタイリストだと勘違いしたらしく「西さん、いま私手いっぱいなんで、代わりにこの仕事やってくれない?」と着物の『やまと』のポスターの仕事を紹介してくれたのだ。

 女性モデルが2人いて、1人は着物姿、もう1人が洋服姿というポスター撮影で、西さんは洋服のスタイリングを任された。

「まさに怖いもの知らずなんですが、二つ返事で引き受けて、自分が好きだった洋服メーカーに白いワンピースを借りにいきました。本来、スタイリストは複数のコーディネートを用意して、クライアントや監督に選んでもらうのですが、私が持っていったのは1着だけ。幸いOKが出た。今考えると冷や汗ものですね。これがスタイリストとしての私の初仕事でした(笑)」

 ポスターを見た染川さんから「ファッション雑誌の仕事もしてみない?」と再び声がかかり、西さんは雑誌スタイリストとして歩み始める。

 24歳にしてスタイリストデビュー。実はどこかでスタイリストの仕事を学んだわけでも、修業したわけでもない。突然舞い込んだ仕事を経験ゼロの身でこなし、肩書を手にしたのだ。 

 それ以降、がむしゃらに現場で業界用語や仕事のやり方を学んでいった。そして、主婦の友社の『ai』、集英社の『non-no』、世界文化社の『家庭画報』などの女性ファッション誌の仕事に携わり、いつしか巻頭ページまで任されるようになる。