子どもに手加減しない母の味
料理はとても手早いが、それ以外の家事は苦手なレミさん。仕事が忙しくなると家の中はあちこちに物が散乱し、取り込んだ洗濯物が山積み。
次男の率さんは子どものころ、その山にダイブして遊んでいたと笑う。
「うちの母は忙しかったので、学校行事に関することは、手が回らないことがよくありました。例えば、給食のお金が払われていないと先生に呼び出されて恥ずかしい思いをしたり(笑)。遠足の持ち物も子ども任せだったので、自分で友達のお母さんに電話して聞いたり。まあ、でもそれが当たり前だったし、おかげでずいぶん自立したんじゃないかな」
率さんが今でも鮮明に覚えているのは夕飯の光景。テーブルいっぱいに料理が並び、席に座るのは父と兄と率さんのみ。レミさんはキッチンで料理を作り続けていた。
「できたてを食べさせることに、命をかけていたんでしょうね。毎日、毎日、いろんな創作料理がわんこそばみたいに次々と出てくるので、食卓はいつもにぎやかでした。
クミンや五香粉など、子どもが好まないようなスパイスを手加減なく使った料理がよく出てきたので、普通の子どもより舌は肥えていたかもしれません。好き嫌いなく育ちましたが、料理の実験中に変わったものを味見させられて、“ウエッ、なんじゃこりゃ! ”ということも、よくありました(笑)」
夕食が終わるとキッチンには食器が山積み。翌朝、それを和田さんが洗うのが日課だった。ゴミの分別をしてくれたのも、和田さんだ。
仕事から帰ってきた和田さんが玄関で靴も脱がずに「夕飯はどこか食いに行く? 」と誘ってくれることもあったと、レミさんは言う。
「私が昼からずーっと料理の仕事をしていて疲れているときなんか、すぐ察してくれてさ。で、外で食べて家に帰ってくると“やっぱりレミの料理のほうがうまいよ”って言われちゃうのよね。あーあ」
和田さんへの思いがこみあげてきたのだろうか。レミさんはため息をついた。
普通の家庭とは一味も二味も違う和田家だが、レミさんもフツーの母親と同じような心配をしたことがある。
長男の唱さんが高校生のときのこと。試験前でもギターに夢中な息子に、レミさんは「勉強しなきゃダメよ」と小言を言った。静かになったので様子を見に行くと、ギターを抱えたまま眠っている。
「心配になって和田さんに相談したら“放っておけば”と。愛を持って子どものことを信頼していれば、そんな変なことはできないよって」
その後、唱さんは音楽の道に進み、現在は人気バンドTRICERATOPSのボーカル&ギターとして活躍中だ。あるとき、夫にこう言われた。
「ほら見ろ、あのときギターを取り上げてたら好きな仕事に進めなかったんだよ」
4歳下の率さんは放任主義で育てられた。そのため中学生になると逆に危機感を覚え、自分から勉強を始めて塾にも通ったと話す。
唯一、レミさんが口うるさかったのは“食”について。外で食べ物を買うときは「原材料を見て食品添加物の少ないものを」と教えられ、率さんが出かけるときは毎回、「ちゃんと野菜を食べなさい! 」と送り出された。そんな厳しい食育を受けてきた率さんは、今年度の食学親善大使に任命されている。
「野菜を食べないと血液がドロドロになるとか、母にずーっと呪文のように言われ続けたので洗脳されちゃって(笑)。自分が親になった今は、子どもたちに“野菜を食え”って言ってます。それ以外は放任主義で育てていますよ。うちの場合、育て方と何を食べさせるかっていうのは、すごくわかりやすく脈々とつながっていますね」