ただひたすら音楽が好きで、いわゆる芸能活動のようなことは考えていなかった。しかし、テレビ出演も増えてくる。

「ちょっと……変な感じでしたね。だって、『ミュージックステーション』とかに出るとテレビで見たことある人が隣にいるわけじゃないですか。“本物だ……本当にいるんだ”みたいな(笑)。SMAPが隣にいたりすると、“なんか現実感ないな……”って思ったり。ただ、スピッツが一緒に出演したときは、裏で彼らが“なんか俺たち、全然場違いな感じするよな……”と僕らに話してくれて、安心したのを覚えています(笑)」

 多忙を極め、1997年のアルバム『Doubt』を制作中、健一さんの精神が限界に。

インタビューに答える『L⇔R』黒沢秀樹。ドラマのタイアップを受け、大ブレイクしたL⇔R。人気絶頂期は「記憶がなくなるくらい働いた」という
インタビューに答える『L⇔R』黒沢秀樹。ドラマのタイアップを受け、大ブレイクしたL⇔R。人気絶頂期は「記憶がなくなるくらい働いた」という
【写真】今は亡き黒沢健一さんの作品『KNOCKIN' ON YOUR DOOR』

「忙しすぎてプレッシャーもあったと思いますし、自由にものを考えられる時間が少なかった。そういう中でうまくやれる人もいるけど、僕の兄みたいな“音楽だけ”って人にとっては、けっこう厳しいものだったと思います。兄が“もう無理だから休む”と言って、一回離脱することに」

再始動に「それもいいかな」

 このアルバムを最後にL⇔Rは活動を休止し、それぞれソロ活動を始めることとなった。2016年に再始動の計画が持ち上がるが、健一さんの身体は病魔に侵されていた。

再始動について兄貴は“今じゃない”って言い続けていたんですが、少し身体を壊したときに“もう一回一緒にやらない?”と改めて聞いてみたら、“それもいいかもな”ってなって。じゃあその足がかりを作るところから始めようか、なんて言い始めた時期に、今度は脳腫瘍が発覚して……。兄としても、願わくばもう一度L⇔Rとしてやりたいっていう気持ちはあったんじゃないかな。僕らも心残りではあります」

 その年の12月、健一さんはこの世を去った。

「今でも心に大きな穴がぽっかり空いた状態。それはもう一生変わらないですね。兄の死を悲しんでくださったファンの方々の中には、僕に兄の姿を投影する人もいると思うんですけど、僕は兄にはなれない。でもなれないからこそ、できることもあると思うんですよね。この歳になると、みんな何かを失ったり、抱えきれないことが増えてくる。だから、そのことを“共有する”のがすごく大事なんじゃないかと」

 コロナ禍でライブに足を運びづらい現在は、配信も駆使してファンに音楽を届けている。

「誰でもタダで見られるコンテンツを作りたいと思ったんです。YouTubeで無料のライブ配信をするためにクラウドファンディングを始めたら、目標の359%、180万円近いご支援をいただけました。コロナでどうなるかわかりませんが、5月2日には東京、8日には神戸、9日には大阪でライブも予定しています。よっぽどのことが無い限り、無観客でもやろうかと。

 あと、オンラインでファンクラブのようなものを立ち上げようとも思っています。L⇔Rのファンだった方たち同士が、ギュッと近くなるようなコミュニティをつくりたい。“ひとりぼっちじゃない状況”を音楽を通じてつくれたらなと思います」

 健一さんが遺した音楽の絆は、これからも人々の心のドアをノックし続ける。