「キャンディーズはもともと3年で活動を終えるという条件があったといわれ、なかなか結果が出ないため周囲からもあまり期待されていなかった。“うさぎと亀”でいうと亀のような存在。反面、うさぎは人気を持続させるのが大変」
とし、さらに、
「恋愛をすることで人間関係に変化が生じる。“普通の女の子に戻りたい!”と解散宣言をしたのは象徴的」
と、石川さんは語る。キャンディーズの田中好子さんは年下男性とひそかに交際をしており、ピンク・レディーの増田恵子にも当時交際していた男性がいたことは有名。
「人気が下降ぎみとはいえ、ピンク・レディーは営業的にはいくらでも成立したはず。それでもやめるというのは衝撃的だし、人間関係が複雑化していたということでしょう。あの当時、再結成しそうな雰囲気があったのはキャンディーズだったんだけど、まさかピンク・レディーのほうが再結成するなんて思わなかった(笑)」(石川さん)
ジャニーズの解散、低迷、不仲、解雇
彗星のごとく登場し、“最後のスーパーアイドル”と称された光GENJIの解散も、多大なインパクトを残した。'95年9月に卒業コンサート(実際は解散コンサート)でファンに土下座をした諸星和己の姿が大きな話題を呼んだが、『嵐はなぜ史上最強のエンタメ集団になったか』に寄稿するなどジャニーズに詳しいライターの田幸和歌子さんは、
「“人気絶頂での解散”といった報道が多いですが、当時の光GENJIは人気が下降していた」
と指摘する。ピンク・レディー同様、失速がトリガーになる解散パターンだという。
光GENJIは、'87年に『STAR LIGHT』でデビューすると、'90年『笑ってよ』までのシングル11曲中10曲がオリコン1位を獲得する快進撃を続ける。まさに、“最後のスーパーアイドル”だ。
'91年以降は、オリコン1位となるシングル曲こそないが、最高位1ケタ台をキープ。だが、'94年8月の大阪城ホールでのライブを最後に大沢樹生と佐藤寛之が脱退し、『光GENJI SUPER 5』にグループ名を変更すると失速が顕著となる。
「'13年の『ゲスゲスHEAVEN』(フジテレビ系)というバラエティー番組内で、諸星さんが“'94年に行われたコンサート後、メンバーがそろって食事をしたときに、もうダメだと感じ、解散が避けられない雰囲気になっていた”と述懐しています」(田幸さん)
また、同番組ではメンバーの仲が悪かったと振り返り、「'94年は、すでにSMAPがブレイクし、ジャニーズに世代交代が起きている」と田幸さんが話すように、いつ解散しても不思議ではない状況だったことがうかがえる。
「光GENJIは最後のスーパーアイドルであると同時に、初動の勢いそのままにトップアイドルに君臨した最後のアイドルグループだったと思います。その後のSMAPや嵐は、着実に実績を重ねる遅咲きタイプで、人気を継続できるようなスーパーアイドルとしての見せ方を重視していきます。
光GENJIの解散以降、ジャニーズアイドルの売り方に変化を起こしたという意味では、大きなトピックだと思います」(田幸さん)