レコ大受賞、そしてレースにのめり込む
『ギンギラギンにさりげなく』( '81年)、『ハイティーン・ブギ』( '82年)など、多数のヒット曲に恵まれた近藤。 '87年には『愚か者』で日本レコード大賞を受賞している。
「マッチがかわいそうだったのは、お母さんの遺骨が盗まれたこと。『愚か者』がレコ大の候補になったときに、“賞レースから降りなければ返さない”って言われて。
アンチがいたんでしょうね。いまだに犯人は捕まっていないし、遺骨も返ってきていませんから」
その後は『全日本F3選手権』( '88〜 '93年)、『ル・マン24時間耐久レース』( '94年)参戦など、レーサーとしての活動が本格化。芸能活動は手薄に……。
「そして昨秋に不倫が発覚。無期限謹慎中に、ジャニーズ事務所を辞めた。そんなマッチの去り方に、東山紀之さん(54)は“すごく薄っぺらく感じる”と苦言を呈しましたよね」
ジャニーズの長男としての自覚
実はマッチとヒガシは、年齢的には2つしか変わらない。
「ヒガシにはヒガシの思いがあるんでしょう。ただ、ジャニーズ事務所の何年間かは確実にマッチが支えたし、彼の売り上げが後輩たちを育てた面はある。それに、メリー喜多川さん(94)が親しくしていた森光子さん(享年92)&黒柳徹子さん(87)とのパイプ役はしっかりと引き継いでいましたから」
近藤が長年、芸能活動そっちのけでカーレースに没頭していても、ジャニーズ事務所としては粗末にはできなかった側面が。
「もともとヤンチャを売りにしていたから、そのとおりに生きてきたんでしょう。マッチは自分勝手で、長男としての自覚が足りなかった。
後輩から“マッチさん”と呼ばれてはいるけど、その後輩たちはマッチに具体的に何かしてもらったことはないと思う。ヒガシや櫻井翔くん(39)とかのほうが、後輩に対してよっぽど厚いよね」
近藤は退所後も、今までどおり芸能活動もカーレースもやっていくと話しているそうだが、石川さんは疑問視する。
「ただ、彼にはカーレースで付き合ってきた人たちがたくさんいる。そういう人たちが、いつまでスポンサーでいてくれるか、じゃないですか?」