「以前、和田誠さんが亡くなったときにね、いろいろなところからコメントを求められて、それがとてもつらかったんです。なので田村さんのことは、新聞で連載しているコラムでだけ、お伝えすることにしました。ごめんなさい」
小雨降る中、わざわざ自転車を止めて言葉少なに語ってくれた脚本家・三谷幸喜。“田村さん”とは、言うまでもなく三谷脚本の人気ドラマ『古畑任三郎』シリーズでタッグを組んだ俳優・田村正和さんだ。5月18日、心不全のため亡くなっていたと公表された田村さん。名実ともに芸能界トップを走り続けてきた超大物俳優とは思えないほど、その最後はひっそりとしていた。
「田村さんが都内の病院で息を引き取ったのは公表の1か月以上も前の4月3日。葬儀も近しい親族だけですませた、と」(スポーツ紙記者)
田村正和さんの“遺言”
昭和を代表する銀幕スター“阪妻”こと阪東妻三郎の三男として生まれ、同じく俳優として活躍していた長兄の故・田村高廣さん、弟・田村亮とともに“田村3兄弟”と呼ばれた。
『眠狂四郎』『うちの子にかぎって…』『パパはニュースキャスター』『ニューヨーク恋物語』そして『古畑任三郎』……と、数々のドラマを大ヒットに導いた名優である。芸能界には親しい知人や友人、関係者も数えきれないほどいたに違いないが、遺族はその死を、冒頭の三谷を含め誰にも知らせなかった。
「すべて、田村さんご本人の“もう、静かに消えていきたいんだ”という意向……遺言だったと聞きました。田村さんはもともと心臓に持病があって50歳を過ぎたころ、手術も受けたと聞いています。3年前のスペシャルドラマ出演を最後に事実上、引退して都内のご自宅で“悠々自適の生活を送っている”なんて報じられていたので、落ち着いていらっしゃるとばかり……」(別のスポーツ紙記者)
松竹の専属映画俳優としてデビューした田村さんの1年後輩にあたる女優・中村晃子も突然の訃報に驚いたという。
「ただ、正和ちゃんは昔から“達観”しているようなところがあって。“引き際”っていうのが、わかっていたのかもしれませんね……」
田村さんは、当時から輝いて見えたという。
「昭和の垢抜けない時代なのに、正和ちゃんだけは洗練されていて。きれいで礼儀正しくて紳士で……。真っ赤なスポーツカーに乗っていたんですが、それで家まで送ってくれたりね。一時は兄妹のように仕事で一緒だったけれど、共演しなくなってからは連絡も取らなくなって。最後にお会いしたのは覚えていないくらい昔です。年賀状やお中元、お歳暮のやりとりをいっさいしない方でしたから」