離婚する場合、義父の遺産はすべて夫のもの
第二に離婚する場合です。千代子さんが夫へ請求できるのは年金分割しかありません。年金分割とは結婚期間中、夫と妻が納めた厚生年金(共済年金)の合計額を夫と妻で折半する制度です。筆者は千代子さんに年金事務所で「年金分割のための情報提供書」を手に入れるよう頼みました。そして3週間。この書類が届いたのですが、年金分割の結果、千代子さんの年金は月額で4万円増えることが分かりました。なお、企業年金は年金分割の対象外です。
次に生活費ですが、離婚したら夫婦は赤の他人。元夫が元妻を扶養する必要はありません。筆者は「別れても生活費を送って欲しいと頼むのは、さすがに無理があるのでは」と伝えました。
そして千代子さん夫婦にとって唯一ともいえる財産は、夫が義父から相続した1000万円。法律上、結婚期間中に築いた財産は夫婦の共有です。そして離婚するときに共有財産を分け合うのが原則です(民法768条)。しかし、独身時代に貯めた貯金、両親から贈与された財産、相続した遺産は共有ではなく特有財産です(同法762条1)そのため、離婚するときに分け合う必要はありません。筆者は「旦那さんに対して“遺産の半分をください”と言うことはできないんです」と厳しい現実を伝えざるをえませんでした。
千代子さんは離婚することで年金の受取額が増えるのですが、それでも月額10万円。80歳までの合計は2160万円です。離婚後、千代子さんは経済的に自立しなければなりませんが、家賃、生活費、携帯代などの生活費が発生します。そして貯金は相変わらずゼロです。千代子さんは自宅でヨガ教室を開いており、先生として生徒に教えていたのですが、月謝の収入はあくまで夫の扶養の範囲内。しかも現在はコロナの影響で生徒はすべて辞めてしまったそうで、生活費の不足をヨガ教室の売上で補うのは難しい状況。
お金に不自由しない熟年離婚は「夢物語」
このように千代子さんが受け取る金額の合計は死別(4888万円)が離婚(2160万円)の2倍以上と大差です。夫と顔を合わせず、夫と話を交わさず、そして夫の姿を忘れる。それは離婚、死別のどちらも同じです。千代子さんは夫のせいで長い間、悩み、苦しみ、傷ついたのだから、その代償として可能な限り、多くのお金をもらいたいところです。筆者は「もらえる額の多い少ないで選んでも、バチは当たらないのでは?」と諭しました。
千代子さん夫婦のように分け合うほどの財産は残っていない。これが熟年離婚の危機にある夫婦の大半です。もし分割後の年金と遺族年金がほとんど同じなら、死別の有利性は夫の財産が少なければ少ないほど際立ちます。これは夫の財産が少ない夫婦ほど離婚しないほうがいいという意味です。
実際には離婚と死別の二択ではなく、死別の一択ですが、今すぐ縁を切ることができる「離婚」という選択肢が妻を悩ませるのです。むしろ一択のほうが迷わないはずです。どうしても熟年離婚の特集は「離婚したほうがいい」という論調になりがちですが、それは夢物語です。熟年離婚に踏み切ることができるのは、よほどの条件がそろい、離婚後の生活が保証される場合に限るということを念頭に置いておいたほうがいいでしょう。
露木幸彦(つゆき・ゆきひこ)
1980年12月24日生まれ。國學院大學法学部卒。行政書士、ファイナンシャルプランナー。金融機関の融資担当時代は住宅ローンのトップセールス。男の離婚に特化して、行政書士事務所を開業。開業から6年間で有料相談件数7000件、公式サイト「離婚サポートnet」の会員数は6300人を突破し、業界で最大規模に成長させる。新聞やウェブメディアで執筆多数。著書に『男の離婚ケイカク クソ嫁からは逃げたもん勝ち なる早で! ! ! ! ! 慰謝料・親権・養育費・財産分与・不倫・調停』(主婦と生活社)など。
公式サイト http://www.tuyuki-office.jp/