彼の母親は無言で遺骨を抱いて
松山航空隊にいたころ、忘れられない事件が起きた。
「仲間のひとりが船のフックにひもをかけて首つり自殺したんです。訓練に耐えきれなくなったんだと思う。京大卒の優秀な男でしたが、人付き合いが苦手でちょっと孤立しているところがあった。“つらい”とグチをこぼすこともありませんでしたから」
彼の自殺を報告したときの上官の言い方は、いま思い出しても腹が立つという。
「上官は“おまえたちの死亡通知は3銭(切手代)ですむんだ”と言う。バカにしていると思いました。当時そばが1杯7銭です。そんな言い方がありますか」
数日後、彼の母親が遺骨を引き取りにやって来た。
「軍は冷たい。軍隊葬もしなかったし、上官からお悔やみの言葉もない。お骨の入った箱を“はい”と母親に渡しただけ。息子の遺骨を抱いた母親は、何も言わず黙って帰っていきました。付き添う人もいませんでした。どんなにか泣き崩れたかったろうに。その後ろ姿がじつに寂しくて、今でも思い出すと胸が締めつけられます」
ほどなく終戦を迎え、酒井さんは無事に寺に帰ることができた。出迎えた母親はただただ喜んだという。
最後に、気になっていたことを聞いた。仏の道から戦争に行くことにためらいはありませんでしたか─。
「なかったというとウソになりますね。1度も交戦せず終戦を迎えられたことに感謝しています。そもそも、名誉の戦死なんて思えなかったからね。戦争は悲惨なものです」
そう言って目を閉じた。
※2015年取材(初出:週刊女性2015年9月8日号)
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する