いつも怒っている人でした。でも、事務所の人たちはみんな慣れっこで、ビクビクしていたわけでなく、“また怒ってるな”という感じ。完全に“おこりんぼキャラ”でしたね(笑)。でも、怒っていたのはものすごく仕事熱心だから。常に高い目標を設定する完璧主義者で、そういうモチベーションがあったからこそ、ジャニーズはここまで成長できたのだと思います」(前出・テレビ局関係者)

 そんな彼女には、60年間続けていた“ある仕事”があって─。

“これは私の仕事だから”と言って、タレントの衣装選びは誰にも譲らなかった。しかも、ステージの衣装合わせで、メリーさんが“これじゃ、全然ダメ”とボツにしてしまうことが多いので、スタッフ泣かせで有名でした(笑)。

 海外まで自ら生地の買いつけにも行っていましたね。数年前まではよく行っていて、特に、パリにある生地の問屋が並ぶストリートがお気に入りだったみたいです」(芸能プロ関係者)

現場に来る“衣装のおばさん”

 メリーさんは自分が選んだ衣装を着て踊るタレントたちに、深い愛情を注いでいた。

「街を歩いていて、ちょっとカッコいい男の子を見かけても、“ウチの子たちのほうが断然イケてる”と誇りを持っていました。常に彼らのことを気にかけていましたが、まだ子どもだったジュリーさんからは“私が病気になっても病院に連れていってくれないのに、なんでタレントだとすぐ連れていくの?”って言われちゃうほど、家族よりもタレントを第一に考える人でした」(同・芸能プロ関係者)

 スタッフからは恐れられるだけでなく、親しみやすい存在でもあった。

“現場に来る衣装のおばさん”という感じ。不思議と愛着が湧きましたね」(同・芸能プロ関係者)

 生前、彼女が行きつけにしていた都内の鉄板焼き店『T』でも、こんな姿が目撃されていた。

「事務所のスタッフらしき人たちと食事に来ていました。“女帝”と言われていたので、おっかないイメージを持っていましたが、お店の若いスタッフにもすごく腰が低く、謙虚な印象を受けましたよ」(居合わせた客)