仲間にブチ切れた壮絶レース
数多くのマラソンイベントに参加してきた寛平だが、もう2度とやりたくないレースが1つだけあると言う。フランスのアドベンチャーレースの元祖『レイド・ゴロワーズ』だ。レースの舞台は山や川、ジャングル、湖、砂漠、氷河、前人未踏の難所である。直前に渡された地図を頼りに、徒歩、自転車、カヤック、クライミング、乗馬など複数のアウトドア競技をこなしながら、チェックポイントを通過してゴールを目指す。500kmから700km前後の長距離レースはスタートしたらノンストップで、夜間もほぼ不休状態で続けられる。チーム構成は、男女混成の4〜5人が条件だ。
1994年の11月、場所はボルネオ。寛平46歳だった。
「間寛平チーム」は、現在アドベンチャーレーサーとして知られる田中正人さん(当時26)を隊長に、副隊長は山岳部出身者の21歳、カヤックはアウトドアショップの店員、女性はトライアスロンの選手、そして寛平の5人。
「11日間ジャングルの中を突き進む。地図を頼りにウンコだらけの道や川を歩いたり、とんでもない山道を登ったり。もう、過酷にもほどがあるという状況でチームワークはガタガタになる。この穏やかな間寛平がブチ切れるくらいやからね(笑)」
多くの大会やレースに参加してきた寛平でさえこのレースはあまりに勝手が違った。体力だけでなく、精神的にも人間関係的にも極限状態に追い込まれていったのだ。
レース中、シャツや下着は水で洗って干しながらゴールを目指すが、雨季のせいでなかなか乾かない。川を渡る際には、ルールとしてチームのユニフォームを着ることになっていた。
「でも、俺のユニフォームはびしょびしょでまだ着てられへん。そう言うと隊長は『いや、着てください』と。そして21歳の副隊長が『隊長命令に従ってください!』と。それで俺は『何ぃ!』となった。『お前26やろ! お前21やろ! 俺46や! なんでお前らに命令されなあかんねん! こんなレースやってられるか!』とブチ切れた。
でも、ふと後ろを見ると、女性隊員ともう1人が俺のユニフォームを必死にギューーーッと絞ってる。それを見て、『くそーーーー! 貸せ!』と言ってユニフォームをつかんで着て100mくらいある川を渡った。そういうレースなんやね」
チームは133時間50分で完走。40チーム中15位で日本人としては初完走だった。
「あれは2度と勘弁してほしいね」と寛平は苦笑する。
そして──、想像を絶する大きな闘いが、今でも語り継がれる一大プロジェクト「アースマラソン」である。それはマラソンとヨットで地球を一周する壮大な旅だった。
2008年12月17日、大阪「なんばグランド花月」をスタート。大阪から千葉、千葉からヨットで太平洋を縦断し、アメリカ大陸へ。そしてヨーロッパへと向かう。
途中、2010年1月トルコ・イスタンブールで寛平が前立腺がんを発症していることが判明。治療を行いながら、続行することにしたが、サンフランシスコで放射線治療を行うために一時中断。同年6月トルクメニスタンで再開した。ウズベキスタン、カザフスタンを経て中国・青島から2011年1月4日博多港内の西福岡マリーナに到着。1月21日、大阪城音楽堂にゴールした。
2年1か月の月日をかけ、4万1000kmに及ぶ長い旅を完遂させたのだ。ゴールの模様は2時間生放送特番として放映された。ちなみに、番組の締め言葉は会場にいた全員での「アメマ!」であった。
「不思議な才能の持ち主」
「ア〜〜メマ!」「かい〜の」「アヘアヘアヘ」「血ぃ吸うたろか!」「脳みそパ〜ン!」など、ほとんど意味のない脱力ギャグで人気を集めた間寛平。
本人は「あまえんぼう」ゆえにここまで来れたことを自覚している。
「ホンマ、さんまちゃんにはいつも助けてもらってる。ギリシャのスパルタスロンのドキュメンタリーでもそうやし、借金で困ってたときもさんまちゃんの番組に出さしてもろたし、地球一周でがんになったときもサンフランシスコまで見舞いに来てくれたんや、もちろん撮影クルー連れてやけど(笑)」
そして、もう1人「あまえんぼう」を許してくれたのが奥さんの光代さんである。
「最近、嫁はんに『おい、俺、お前にずいぶん勉強させたよな』と言うたら、『はい。もう2度とやりたくないけど』って笑ってましたわ(笑)」
間寛平の面白さとは何か。比企さんは、「時代時代に合った面白さ」だと言う。
「今、寛平さんが生まれていたら、ああはならなかったでしょうね。そもそも何のあてもなく、歌手になろうと上京するなんてありえないし(笑)。24歳で新喜劇の座長昇格もありえない。時代が許してくれた人なんです。時代とともに動いてそれがマッチングするすごさ。あの人の性格、世の中の動きが不思議な力でつながっている。アースマラソンだって、リーマンショックの後だったら実現できていない。その時代における直感が結果的にマッチする、不思議な才能の持ち主ですよ。寛平さんだけは戦略を持たずに不可能を可能にしてしまう。もうあんな人は出てこないでしょう」
寛平とともに数々のナンセンスギャグを生み出してきた池乃めだかは言う。
「寛平ちゃんとは打ち合わせなしで、アドリブでどんなことでもできる。とんでもない返しに吹き出すことも多いんやけど、まだまだ一緒に楽しみたいですね」
村上ショージは、「寛平さんはすごい」と言い切る。
「借金もすごいけど、マラソンはもっとすごい。がんになって普通なら諦めるところを諦めない。前が見えなくても踏み出すすごさ。ホンマは、地球周ってくるより近所周ってもらったほうが面白かったんやけどね(笑)」
寛平とショージさんは、今年の『キングオブコント』に挑戦。ファイナリストには手が届かなかったものの、合計138歳の超ベテランとして会場を盛り上げた。
「準決勝は若手と一緒の大部屋楽屋やったけど、ほんまにあいつらすごいなぁ。色々勉強になった。僕自身、本番前足震えましたからね。でも令和になっても鎌倉時代のギャグは結構通用するもんやね。え? 意味がわからない? もうええわ」
(取材・文/小泉カツミ)
ノンフィクションライター。社会問題、芸能、エンタメなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』『吉永小百合 私の生き方』がある