全国に発出されていた緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が解除され、さまざまなものが再び動きだし、コンサートなどのイベントも観客の上限が1万人まで拡大された。

 とはいえ、コロナ禍が始まったばかりの2020年春のライヴハウスへのバッシング、さらにはこの8月9月に相次いだ「夏フェス」へのバッシングと、音楽イベントへの風当たりは強いまま。ライヴハウスに観客は戻ってくるのか? フェスは再開するのか? 海外からアーティストが来日してコンサートを開くことは? 音楽ファンは誰もが心配しているだろう。

思い出してほしい、あの感動を

 本来なら政府が「ライヴハウスは安心です」と宣言をし、クラスターの源のように放送してきたテレビなど、それを拡散すべきだ。また海外アーティストの来日だって、水際対策として検疫をしっかりすればいい。コンサートを行うミュージシャンたちは自らの健康のためにワクチンを接種し、直前にPCR検査を受け、万全の体制で臨んでいる。

 8月の「フジロック」では直前のPCR検査や、毎日の抗原検査が出演者のみならず関係者全員に義務付けられていたと聞いた。感染対策をしっかり行い、距離をとった座席配置をし、歓声をあげないことをルールとすれば、問題なく開いていけるのではないか。第一、大相撲やプロ野球はそういうルールで、通年で開催している。そろそろコンサートへの偏見を私たち自身が解いていくころじゃないだろうか?

 思い出してほしい。私たちはキラ星のごとく輝くスターたちのコンサートが、大好きだったじゃないか? 武道館や東京ドーム、大阪城ホールなどでのドカーンと巨大なコンサート。アーティストが豆粒みたいにしか見えなくたって、胸躍り、身体を揺らし、興奮して見ただろう? 帰り道にはスキップさえ踏みそうな、あのワクワク。何ものにも代えがたいものだった。これまで見た幾多のコンサート、思い出すだけで胸躍るはずだ。

 あの興奮を、躍動を、もう一度、いや、もう何度でも味わいたい! 

 そう思っていた矢先、音楽ファン心を刺激する本が出版された。1967年の設立から50年以上に渡って日本の洋楽史を支えてきたウドー音楽事務所の歴史を伝える『洋楽ロック史を彩るライヴ伝説~ウドー音楽事務所の軌跡を辿る』(シンコーミュージック・エンタテイメント)という1冊だ。

 今、この本が、洋楽ファンの、主に中高年たちを熱くさせている。

 70年代、80年代、90年代、00年代‥‥‥時代ごとにファンの心を熱くさせた来日コンサートのポスターの縮小版がギッシリ並ぶ表紙からページをめくると、KISS、デヴィッド・ボウイ、エリック・クラプトン、ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョヴィと、スターたちの写真がカラーで並ぶ。世界の人たちを魅了する彼らは、その人生を、人を楽しませることに捧げている。

 本によれば、ウドー音楽事務所は1967年に創業されたコンサート・プロモーターの老舗。主に洋楽のバンドやミュージシャンを招へいしてきたが、創業当時は首都圏に点在する米軍基地のクラブなどに出演させるのが主な仕事だった。時代はベトナム戦争のころ。米軍基地は首都圏の横浜や横須賀、厚木、立川、横田にも大勢の兵士たちが集まり、大規模な米軍慰問団が来日コンサートを行った。まだ子どもだったマイケル・ジャクソンがいたジャクソン5、サミー・デイヴィスJr.といった大御所たちがそのメンバーで、ウドー音楽事務所は社長の有働誠次郎氏が先頭に立って、そうした慰問団を采配した。

 その後、1972年ころからは一般の観客向けの、主にロックコンサートをウドー音楽事務所は手掛けていく。次々に欧米から来日が続く70年代、大型ロック・バンド時代の到来だ。当時のロック・バンドは宿泊するホテルのテレビをバスタブに投げ入れたり(!)、夜の街に繰り出して暴れる、なんてことが当たり前だったんだと、本には書いてある。なかなかワイルドな時代だった。