長年、表現のテーマとなってきたのが、母である女性の立ち居振る舞い。これまでいろんな女優さんたちが印象的な「お母さん」を演じてきました。そんな「お母さん」とお母さん俳優たちを振り返り、その構造や裏話、変遷を検証しました──。
10月11日スタートの新ドラマ『サムライカアサン』(日本テレビ系)で、TOKIOの城島茂が“大阪のオカン”役を演じる。お母さん役といえば、これまでにさまざまな女優が演じてきた役どころ。そこで今回は、時代の移り変わりによるドラマのお母さん像の変遷をたどっていきたい。
自分より“下”を見て励みにした
日本が復興期だった終戦後、“お母さんもの”の映画を「泣くために見る装置だった」と語るのは、NHK大河ドラマ『秀吉』('96年)や『利家とまつ』('02年)など数々の映画やドラマを手がけてきた脚本家の竹山洋さんだ。
「明日の米もないという時代だったから、子どもは母がどれだけ苦労しているか知っているんです。だから、三益愛子さんや水戸光子さんが演じるつらい境遇のお母さんを見ては『なんてかわいそうなんだろう』と家族で泣いたものでした。当時のお母さん、もとい女性たちの境遇は本当に悲惨だった。だから、映画に対して自分たちの境遇と重ねて泣きつつも、同時に『うちのほうがまだまし』と、自分たちよりもっとつらい状況の人を見にいくことで励みにしていたんです」(竹山さん)
別の意味で代表的なのは、松本清張の小説『鬼畜』に登場する母親。映画版は岩下志麻が、テレビ版は黒木瞳や常盤貴子が演じた母親像は昭和初期のもうひとつの典型だった。常盤版『松本清張 鬼畜』('17年 テレビ朝日系)の脚本も担当した竹山さんは語る。
「昭和初期当時の日本には、自分のために子どもを殺してしまう親がかなりいました。昔は今よりも“生き死に”が近くにあったから、大事な後継ぎだと思えばむやみやたらに可愛がるし、不遇があれば『この子を殺せば私は楽になる』と一気に憎しみへと変わった。大人も子どもも、生き延びることに必死でしたから」(竹山さん)
その後、1964年の東京オリンピックを経て日本の景気は上向きに。そのときに現れたのは、京塚昌子や森光子に代表される強くて明るいお母さん像だった。
「このころはもう、映画よりもテレビが主導の時代。テレビは映画と違って地獄を見せる媒体ではありません。以前、テレビプロデューサーの石井ふく子さんから『視聴者に“明日も楽しいことがある”と思ってもらえるように書いて』と言われたことを覚えています」(竹山さん)
どんなことがあっても笑い飛ばして生きる昭和のお母さん像は、実は石井ふく子氏の志向とリンクしていた。女優の川上麻衣子さんは、このころのホームドラマについて以下のように考察する。
「当時、京塚さんが演じられていたようなお母さんって本当は少なかったかもしれないですよね。でも、ドラマがヒットしたらああいうお母さんに憧れる人が増え、実際に社会に生まれたところはあると思います」(川上さん)
興味深いのは、京塚昌子や森光子、山岡久乃といった“お母さん女優”が、プライベートでは一様に独身を貫いていたという事実だ。近年、母親役が増えたという川上さんも現実にはお子さんを授かっていない。
「基本的に芝居って想像力なので、子どもがいない、逆の立場のほうが自分の家庭に発想が限定されないし、イメージは膨らみやすいかもしれないです。『悪役が多い役者さんは実は人間的にいい人』というのに似ていて(笑)。あと、本当にお母さんだったら『私はこんな母じゃない』『このドラマを子どもたちに見られたくない』と、演じるときに邪念が生まれるかもしれません。子どもがいないほうが母親らしさをキチッと形にしやすいかもしれないですね」(川上さん)
ということは、想像力のみでお母さん役を演じる城島は、もしかしたら吹っ切れていいお母さんっぷりを見せてくれる可能性があるわけだ。