父親と関わりを持とうとした息子

 真也被告と兄は、父親との会話もほとんどないまま成長していく。褒めてほしくて話しかけても「うるさい」と遮られた。そのうち、兄は父親と関わるのをやめたが、被告はどんなにうっとうしがられても、父親に話しかけていた。

 被告は愛媛県内の大学を卒業、その後は今治市や山口県などで仕事をしていたが、長続きはしなかった。理由は、上司との意思の疎通がうまくできなかったこと。夜も眠れなくなり、当時ひとり暮らしをしていた部屋から泣いて母に電話をかけている。

 母はそんな息子に驚き、仕事を辞めて実家に戻るよう言う。被告が24歳ころのことだった。

 実家に戻ってからも、2回転職。しかし、被告は一度仕事を辞めると、次の職に就くまで年単位での休養が必要だったという。「人間不信で働く気になれなかった」と言うが、実家での安心感もあったのだろう。母も、働かなくてもいいと言った。

 子どものころから、自分よりも周囲を優先させる性格だった。そのために、つらいことがあっても言えずにきた被告は、早期退職でずっと家にいる父、秀敏さんとの関係もどんどん悪化していくことになる。

「父が不機嫌なのは、体調が悪かったからだと思います」

 真也被告に限らず、兄も、母もそう言っていた。秀敏さんは体調を崩していて、家族がそばにいるとあからさまに不機嫌オーラを出すようになったという。しかし早期退職してしばらくは、真也被告と秀敏さんの関係は改善する。酒を酌み交わし、テレビを見て一緒に笑うこともあった。夢にまで見た、父との親子らしい時間だった。

 それが、事件が起きる5年前からは再び悪化の一途をたどる。会話もできなくなり、家の中ですれ違うと舌打ちをされた。「うっとうしい」と言われ、目が合うと首を傾げられた。いつからか、被告は家の中で秀敏さんと会わないようにし始める。

 事件の日は、被告は休みで昼間から酒を飲んでいた。以前の仕事が昼夜逆転だったため、その癖が抜けず昼から飲むことがあったのだという。

 それを、秀敏さんが咎めた。ただ、秀敏さんも早期退職して以来、毎日朝から飲酒していた。さらに、その日の父の言葉はいつになくキツく、被告を見る目はまるで汚いものを見るかのようだった。

「父も飲酒しているのにという思いがあった。言ってることがおかしいことを痛めつけてでも謝らせたかった」

 そのときの秀敏さんの目を見て、被告が縋っていた父と子の関係がなくなってしまったと感じたのだという。

 被告は、秀敏さんの胸ぐらをつかむと顔面を殴った。とにかく、何もかもを謝ってほしかった。この日のことだけではない、生まれてから今日までのすべてを。

「もう、ええ」

 どれほど殴ったときだろうか、ふと秀敏さんが、そう言った。

「自分が期待した謝罪ではなかったからモヤモヤした」が、被告はその言葉で暴行をやめると、自室へ戻り昼寝をした。父の様子は重篤には思えなかった。自分の服についた大量の返り血も気づかなかった。だから、救急車も呼ばず様子も見に行かなかったのだという。

 しかし秀敏さんはすでにこのとき、くも膜下出血を起こしていた。